HOME 不思議なこと(上) | ENGLISH |
飢えに苦しんだ戦中・戦後、そして、表面的に豊かな高度経済成長、そして、バブル崩壊という
激変の時代を、北海道から広島までの各地を22回も移動する人生に、時として不可思議なことに出食わします。
年を重ねるに連れて不可思議なことが理解できるのかと思いきや、不可解のままでは癪なので、
自分に不利益になることは覚悟の上で、今まで誰にも話さなかったことを書き連ねてみます。
不思議なこと(上)目次 | |||
1. まえがき
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2. 幼児期の不思議な夢
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3. 幻聴?、くの一?
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4. 正夢(まさゆめ)
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5. 幽霊? 亡霊?
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6. 父妃殿下?
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7. 早逝された同級生
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8. 昔の師のお屋敷
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9. 飛行機のこと
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10. 火災の第一発見者
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11. ピシッという音
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12. こおろぎ
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13. 「おーい」と呼ぶ声
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14. クォーク粒子
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15. 教授の怒り
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16. 音楽の先生の怒り
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17. ゴータマ・シッダールタ
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19. ジェーン台風
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20. 平成10年台風第7号
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21. 首都高のランプでガス欠
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22. 私の目は青目 ?
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23. 前触れの夢 ?
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24. 父の宝くじが当選
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25. C型肝炎ウィルスに感染???
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不思議なこと(下)目次 | |||
26. あの光は何だろう。UFO ?
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27. 宇宙人の遺伝子や形態について
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29. 花火工場の大爆発
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30. 橋の下のバラック
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31. 家庭科の先生にほめられた
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32. 級友と化石取りに行った
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33. 仙台でのスケート
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34. 中2の愉快な仲間達
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35. プールにハリガネムシ
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36. 札幌の美人女子生徒
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37. カッコウ鳥の生の声
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38. 高校の同級生が暗殺
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39. 担任の先生の自殺
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40. 大きな事件・事故と関連すること
40.1 ある若い女性のこと
40.2 寿司屋での殺人事件
40.3 路面電車停留所の大事故
40.4 ゴルフ場拡張中のブルドーザー死亡事故
40.5 奥久慈・不動の滝の遭難
40.6 山火事に遭遇
40.7 フェリーで渦中の人に遭遇 ?
40.8 元ハイジャック関係に遭遇 ?
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41. 交通事故
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42. 那賀川の洪水に出会う
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43. 母の死
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44. 化学会社で起きた爆発事故の予感
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45. 東海道線刈谷駅の記憶
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46. スズメからの以心伝心
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47. 銀座散歩の怪
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48. TOKIO 騒動を予感した夢
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50. ビル火災の大惨事の予感
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51. なかにし礼氏の訃報の予感
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52. 森会長の失言騒動の予感
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53. プレゼントの予感
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54. ピロリ菌の除菌をしました
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56. 私にはホクロが1つもない
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57. 兆候
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58. 毎年一輪しか咲かないバラ
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59. 菅官房長官の泣きべそ
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60. 不快指数
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61. 私の血管年齢
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63. 私の大便は匂わない
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64. 新型コロナウィルスに感染 ?
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65. あとがき
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付録 1 夢の中で浮かび出た短い曲
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付録 2 福島県いわき市四時川渓谷の紅葉など
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付録 3 モミジの落ち葉
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付録 4 変わった道路表示と交通安全看板
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付録 5 ベニテングダケ
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付録 6 台風一過の夕焼け
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付録 7 晩秋における石楠花の狂い咲き
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付録 8 熱気球
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付録 9 和服姿のトイレ案内板
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付録 10 明日への希望が湧く夕空
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付録 11 伐採林
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付録 12 幻想的な海外のアート
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付録 13 鉄道線路を走行できるトラック
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26. あの光は何だろう。UFO ?
(1) 1985年頃の仕事休みの前日のある土曜日夕方に茨城県勝田市(現・ひたちなか市)の勤務先から1人ぶらりとドライブで
千葉県九十九里浜へ生まれて初めて行ってみました。
冷たい北東の風が吹きすさび、真っ暗に夜の帳は遠に落ち、
厚く低く垂れ込めた雲の下の九十九里浜は荒涼とした佇まいでした。明りが全くありません。
【上記と似た現象のテレビ放映】
2021年11月17日(水)にフジテレビ 19時の番組「世界の何だこれ!?ミステリーSP」で、上記と似ている現象が放映されました。
そのテレビ放送の録画をとり、その瞬時、瞬時に動きを止めてディジタルカメラで撮影し、時間系列に従って並べると以下に示す画像です。
【「どこでもドア」のようなテレビ放映】
2021年12月1日(水)にテレビ朝日 19時からの番組「たけしの超常現象!?不思議だなニュース」の初めの方に、漫画「ドラえもん」に登場する「どこでもドア」のような光る映像にUFOが吸い込まれて消えてゆくというロシア国内で撮影された動画のテレビ放映がありました。
そのテレビ放送の録画をとり、その瞬時、瞬時に動きを止めてディジタルカメラで撮影し、時間系列に従って並べると以下に示す画像です。
【牛1頭を空中に持ち上げて UFO に吸収された】
2023年7月18日(火)20時10分頃にテレビ朝日で放映された「内村のツボる動画『昭和から令和まで…世界の衝撃映像大連発 SP』」の中の「突然浮遊する牛」の各画面をデジカメで撮影して構成したものを次に示します。
この原点と思われるサイトが 例1 と例2です。他にも同様のことが起きているようです。例えば、例3と例4。
(2) 普段は忘れていますが、そういえば、上記以前に 2 回、変わったもの(空飛ぶ円盤?)を見ていました。
両者とも定期旅客便航空機、または、飛行船の見間違いかとも思われますが、分かりません。
その時分の私自身が若くてシッカリしていなかったのと、記憶がおぼろげなので、話の内容が覚束ないですが、以下のようなものです。
(その1) 私が当時の実家(大阪府高槻市東五百住町) に帰省していた1970年代前半の天気のよいある日の夕方、私は淀川の堤防をサイクリングをしていました。 まだ陽が明るいなかでの帰り道、実家に近い芥川の堤防をゆっくり走っていたときに、 堤防下の道路でこの近所と思われる奥様3人が真上を見て空を指差しながら何かわめいています。何をわめいているかは分かりません。 私も釣られて真上を見上げると、満月の大きさの丸い碁石の形をした銀色の円盤が夕日を受けて浮かんでいるではないか。満月ではありません。 「あっ。空飛ぶ円盤だ。」とビックリ。内心恐くなり、余り見ないようにして堤防の上の細い道を逃げ帰るように自転車を走らせて家に戻りました。 家に入っても恐怖心が残ります。母に話しましたが、母は関心がないようでした。 (その2) これも1970年代前半で、秋のある日の15時、私は仙台市青葉山にある東北大学工学部電気系研究棟の図書室(2階)で研究文献を読んでいました。
この後直ぐに3階の柴田幸男研究室に行き、大学院同級の
横尾邦義氏(現在、東北大学電気通信研究所名誉教授)(その2)に話すと、彼は淡々と「僕もさっき西の空に見たよ。」と言います。何度聞いても、詳しくは言わないけれど、「本当に見た。」と言う。
今度は、こっちが呆気に取られたのですよ。
(3) 1970年頃から1985年頃の間に私は UFO に狙われたり追われる夢をよく見ました。
その夢では、雷雨が襲ってくることと重なることもあります。
それを避けるため、ビルの中に逃げ込んだり、道路わきの大きな側溝の中に潜り込んだりんだり、夜の自宅にいる場合は慌てて雨戸を閉めたり、時には、夜空に光と音を発しながら低空飛行をして明らかにこちらの様子を伺いながら近づいて来る、
というように、夢の中で怖い思いをしてきました。
(4) 2015年7月22日(水)に私が開設している
別のページ「北海道でヤマビルを見た」の中にある粟又の滝(千葉県)の画像をつぶさに見ていたとき、左上部分に小さな黒丸があるのに気付いたのです。それが下左に掲げた「粟又の滝」の全体写真です。その全体写真の左上部分の黒丸を、パソコン画面上で比較した場合は全体写真の20倍に、クリック拡大した同志で比較した場合は全体写真の4倍に拡大して示したのが下中の画像です。さらに見やすいように、明るさを増してコントラストを上げて周りを暗くして示したのが下右の画像です。
この拡大された黒丸の周囲が、ハレーションまたは陽炎のようになっていることが分かります。黒丸の中は、内部が分割された構造にも見えます。
これは何でしょうかね? ホコリやシミなどが偶然UFOに見えるのでしょうね??。
参考までに、全体写真の中で、滝の下で遊んでいる1人の子供の画像を抽出して、
上中のクリックで拡大された黒丸の画像と同じサイズ、同じ明るさ、同じコントラストになるようにしたものを左に示します。
やっぱり、これはレンズ近くを飛んでいる虫、または、写真作成の定着または現像の時に出来た何らかのシミ、と考えるのが妥当と言えそうです。??? 上記の粟又の滝を撮影した数時間後、猛暑の中の山道を徒歩で南下しているときに、
私は1955年から1968年まで父から借りて使っていて、私だけで1000枚くらい撮影しています。 が、右図のような光漏れは、他にもう一枚あるだけで、それ以外は正常でした。 他のもう一枚というのは、左図の山形県と宮城県の県境にある旧・関山トンネル(国道48号線)の山形県側で夕方に撮影したものです。ご参考まで。
(5) 1994年8月に、静岡県佐久間、水窪、そして、長野県天竜を通る秋葉街道(国道152号線)を車で北上して諏訪湖へ向かっていました。この152号線は、南アルプスと伊那山地の間の峡谷を南アルプスや天竜川に並行して走る難路です。各箇所で通行不能区間があるなどで数時間を要し、行き交う車は一部の集落を除いて全くありません。この国道の南半分はヤマビル生息地帯なので、私が開設している
別のページ「北海道でヤマビルを見た」
にそのときの記事を載せたわけです。この国道の最高地点(標高1400m余)である分杭峠から北側を撮った写真も載せました。その写真が下の画像です。2019年11月29日に気付いたのですが、この写真の真ん中より少し左に白くぼやけた点は何だろう ? と。それまでは、向こうの山の斜面にあるコンクリートか何かの構造物と思っていました。しかし、拡大してみると、空中に浮かんでいるようなのです。この付近は全くの無人地帯で、この日は無風でした。白くぼやけた点だけを順次拡大してみたのが、右側に順次示す画像です。この白くぼやけた点は現像するときのエラーなのか ?
下右の60倍の拡大図を見ると、小さな物に例えれば、勾玉のような形に見えるし、大きなものに例えれば、洋式便器に形が似ていますね。一体これは何でしょう? 気球や風船 (Baloon) の類も有り得るか?
(6)
2010年頃に、あるテレビ局の特集で取り上げるまで私は知りませんでしたが、我が国における最も信頼性の高い UFO 事件として、1975年2月の
山梨 UFO 事件
(その2、
その3、
その4、
その5〔インターネット・アーカイブのバックアップ[backup at the Internet Archive]より抽出〕、
その6、
その7)
があります。
さらに、これに関した YouTube が次のようにあります。
山梨 UFO 事件の YouTube
(その2、
その3、
その4、
その5)。
その後、当事者だった2人の少年が50歳くらいになったときも、あるテレビ局の特集として報道されています。真に迫っていました。その様子が上記最初の YouTube の後半にあります。
(7) 2020年11月23日(月)23時15分からのテレビ朝日(5チャンネル)の
激レアさんを連れてきた
という1時間番組で、石川県羽咋市に平安時代や室町時代などに残されたいろんな文献から、今で言う UFO と思われる記述が幾つも出てくることが、オードリー若林さんの司会の下、激レアさんである
タカノ氏
と番組担当の若き女性の弘中アナウンサーから知らされました。その中で特に強い印象として残るのは、次の2つです。
(8) 1980年代に私がある国立学校に勤務していた頃、学生寮の宿直当番をしていた夜7時半の頃です。寮の食堂で寮生の点呼を取った後、三々五々、各部屋に戻るために食堂から外に出るのですが、
(9) 私が0歳の1942年(昭和17年)から1943年頃でしょうか、第2次世界大戦中で住宅地の夜は真っ暗です。ある夜に、日本石油(株)本田社宅(兵庫県尼崎市西字本田31番地)の自宅から母が私を背中におぶって父と共に外出しました。私は母の背中から顔を仰向けに真っ暗な空を見上げていました。すると、前後左右に揺れている1個の白い点が目に入り、「あれは何? 怖いなあ」と赤子心に焼き付いて、後年、時々、それを思い出し、76年経った今(2018年)でもその情景が思い出されのです。0歳にして空が怖くなった訳です。
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27. 宇宙人の遺伝子や形態について(想像)
(1) 宇宙生物と宇宙人の遺伝子(想像)
地球上のあらゆる生物 (ウィルスから細菌、バクテリア、植物、動物まで全て) の遺伝子は DNA および RNA からなり、その発現があらゆる生物で共通なので、地球上の生物は共通の祖先 (ウィルスまたはそれ以前のアミノ酸のようなもの?) から出発して発展、分化をしてきた、と言われています。が、本当でしょうか? 私はハタと考えました。
つい最近(2017年)、アメリカ合衆国の国防省から、また、イギリスの空軍から、UFO の目撃事例、UFO への空軍機の緊急発進および攻撃の事例、等の秘密文書の一部が解除され、公開に至りました。それを受けてか、各テレビ局で UFO 特集を放映するようになりました。ガセネタも多くありますが、中には、考えさせられるものもあり、「本当かなあ」と思う反面、「本当かも知れない。本当だったら面白いな。」と期待もあります。マスコミを通じて、また、人づてに多くの事例を見聞するにつれ、上記 (1) の議論をも踏まえて、宇宙人について次のように想像するように至りました。
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28. 阪神パークの劇場で「♪・・・すみれの花 咲く頃・・・♪♪」
2018年5月20日(日)のテレビ報道で、昨夜、宝塚出身の女優・
朝丘雪路さんが4月27日にお亡くなりになっていた、と報じました。アルツハイマー型認知症で闘病しておられた由。82歳。
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29. 花火工場の大爆発
私が小学校2年か3年の頃でしょうかね。1950年か1951年(昭和25年か26年)の頃です。兵庫県尼崎市西字本田31番地の日本石油(株)本田社宅に住んでいました。ある日曜日の未だ眠っている早朝、突然、「ドーーン」という物すごい爆発音に目が覚めました。父母も同様に飛び起きました。ラジオのニュースで、花火工場が爆発したことを知りました。好奇心旺盛の私は1人で武庫川の堤防の上の道を歩いて北上し、阪神新国道(国道2号線)を越えて、東海道本線の鉄橋まであと少しという所の田園地帯の堤防下の現場に3、40分かかって辿り着きました。50メートル四方の工場がメチャメチャに壊れていました。しばらく堤防の上からそれをじっと見下ろして眺めていました。鎮火した後なので、消防車も人も誰もいません。少年の私1人しか居なかったのが不思議でした。堤防の道を歩いて自宅に戻り、父に報告しました。日曜日で従業員は居らず、人的損害は無かったようです。
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30. 橋の下のバラック
私が兵庫県尼崎市立大庄小学校2年の1950年(昭和25年)の初夏に私と父母と妹の一家4人で武庫川の川岸に、母が作ったお弁当を持ってピクニックに行きました。
当時の武庫川は黒松の林があって、川岸は白砂で、河川敷の土手は芝生でした。私は川の中で水泳用の褌姿で遊んだあと、その芝生でお昼を食べたのです(現在は、洪水対策のため、川は深く掘り起こされ、川全体が満々とした水で満たされて砂岸は消え、黒松の林もなくなり、当時の風情は全くありません)。帰り道、阪神旧国道(国道2号線の旧道で歴史的な山陽道に当たる)の武庫川大橋を渡りました。この橋は鉄骨コンクリート作りですが、鉄製の欄干の足元に雨水抜きの穴が所々に開いていました。小学2年の私は歩きながら、何気なく、橋の端っこに溜まっていた砂を靴で寄せては穴に流して、河川敷に落としていました。突然、父が「橋の下で誰かが怒ってこちらに向かって叫んでいるよ」と言うので、私が下を見ますと、見知らぬおばさんがこちらを見上げながら、本当に怒ったように何か叫んでいます。私は何のことかが分からず、坦々と父母に従って橋を渡り切った訳です。その時、分かったのです。あのおばさんが怒っている理由が。橋の下に掘立小屋があって、そこにあのおばさんが住んでいたのです。私が穴から落とした砂が掘立小屋にかかったのだと。悪いことをしたな、と時々思い出します。なお、父は、おばさんが怒っている理由を分からずじまいでしたよ。
return |
31. 家庭科の先生にほめられた
1954年(昭和29年)、私が仙台市立八幡小学校2年7組の家庭科のお裁縫の授業で、ある日、刺繍を習っていました。戦後10年もたたない小学校の高学年には、当時、男も女も一緒に家庭科の授業でお裁縫も編み物もやらされていました。刺繍をしていると、非常勤の恰幅のよいお裁縫専門の女の先生が、刺繍をしている生徒たちを巡回していましたが、僕の机の前にくると、ヒタッと止まって、僕が刺繍をしているのをじっと見ているのです。そして先生が大声で、「あなたっ。上手ねえ。女の子より上手いわよ。」と感心しているのですよ。内心、恥ずかしくも嬉しかったなあ。
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32. 級友と化石取りに行った
1954年(昭和29年)、私が仙台市立八幡小学校5年7組にいたときに、クラスの誰かが二枚貝の立派な化石数個を持ってきました。私は非常にビックリして、「えっ。この化石、どこで見つけたの?」と訊くと、「八幡神社の裏側で採ってきた。」と言うので、家に帰ってから、母と一緒に化石を見つけに行ったのですが、その場所は分かりませんでした。その後、いろいろな人から「井戸を掘れば、必ず化石が出てくる。」とか聞き、仙台の地下や崖からいくらでも新生代第三期の貝の化石が見付かることが分かって来ました。前年まで、関西に居たときには、化石の「か」の字も聞いたことがなかったので、ここ、仙台に来て初めて貝の化石を級友から見せられたときは衝撃でした。
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33. 仙台でのスケート
1955年(昭和30年)の冬、私が仙台市立八幡小学校5年でしたが、友達に聞いて、藤崎デパートで両親にスケートを買ってもらいました。このスケートは長靴にバンドで締めて装着する簡素な物ですが、本格的なフィギュアスケートに似ていました。たまたま、私の住んでいる社宅が郊外のバス通り近くで、未舗装ですが雪が降ってバスが踏みしめると、アイスバーン状態になります。そこをスケートで滑って遊ぶのです。勿論、生まれて初めてのスケートですが、直ぐに上達して、友達から「山本君、上手いんだっちゃ。」と言われるようになっていました。当時、バス以外の車はほとんどありませんでしたから、道路はスケートの練習に最適でした。
return |
34. 中2の愉快な仲間達
1857年(昭和32年)4月から私は北海道札幌郡手稲町(人口1万4千人)の町立手稲中学校2年B組の生徒でした。担任は体育と音楽が得意の佐久間先生。このクラスの男子は面白い級友ばかりで、学校帰りはいつも私と一緒でした。浅見君、住吉君、太田君、成田君、佐々木君、田中君・・・。皆、ワイワイガヤガヤと毎日、学校帰りは一緒でした。私は聞き役でした。この時の主なトピックスを以下に綴って見ます。
(2) 畑で大根を生噛り ある日、通学路に接した畑に実っていた大根を見た仲間の1人が、大根を引き抜いて美味しそうに食べ始めたのです。私も真似をして大根を引き抜いて噛ってしまいました。甘くて美味しかった。北海道の畑は余りにも広いので、1本や2本、いや、10本、20本の大根ごときはほとんど農家の人には影響がないのですよ。 (3) 芝栗を生噛り ある放課後に、いつもの仲間たちと学校裏の芝栗の林に、芝栗を食べに行きました。この林は自然林と思っていたのです。外のイガを取り、爪でシブをはがし、栗の実をコリコリと歯で噛んで音を立てて生で食べるのです。これが非常に美味しいのです。しばしあって、突然、「コラーッ」と怒鳴り声が聞こえたので、皆、一斉に逃げたのです。この林は持ち主がいたようです。 (4) おっさんが自分の男器を皆に見せびらかす ある学校帰りの日、皆でワイワイガヤガヤとお喋りしながら帰途についていると、広い畑の中から、1人の見知らぬおっさんが私達に興味を持ったのでしょう、私達にいろいろ話し掛けてきました。そのうち、卑猥な話になって盛り上がり、いきなり、おっさんが「これが『だんべ』だべさ」と言って、自分の男性器を取り出して私達に見せびらかしたのですよ。凄く大きかったなあ。 return |
35. プールにハリガネムシ
私は中学1年の1955年(昭和30年)6月に、仙台市内の中学校から北海道札幌郡手稲町(現 札幌市手稲区)の手稲中学校に転校になりました。翌年、2年生になった夏に、何と、この学校にプールが出来たのです。簡易プールです。北海道の、当時の人口1万4千人しかいない田舎町の小さな中学校です。プールの水は、多分、山水を引いてきたのでしょう。もしくは、井戸水を汲み上げたのかも知れません。当時の手稲町には水道はありません。すごく冷たい水です。それでも、水泳好きの猛者は泳いでいました。
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36. 札幌の美人女子生徒
札幌には、目の美しい美人が多いと言われています。冬の風雪に鍛えられた結果かと思われます。
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37. カッコウ鳥の生の声
皆さんはカッコウ鳥の生の鳴き声を聞いたことがありますか? ほとんどの人は聞いたことがないと思います。歌に、また、歩行者用信号の電子音でよく聞くので、生で聞いたことがあるように錯覚するようなのです。
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38. 高校の同級生が暗殺
私が北海道立札幌南高校の3年8組の生徒だった1960年(昭和35年)秋、3年5組だったかのクラスにいた山口二矢という生徒が、東京日比谷公会堂の壇上で演説を始めた社会党書記長・浅沼稲次郎氏を刃物で暗殺してしまいました。翌日の朝刊で大々的に報道されて知り、同学年生の仕業ということで非常に驚きました。私は山口二矢を全く知りません。この事件による授業への影響は全くなく、学校としての騒ぎもなく、生徒会からの特段の知らせもありませんでした。私の高校の生徒が起こした大事件にもかかわらず、校内は全く平穏で、この事件について話題にも上らなかったことが、今となっては不思議に思っています。なお、新聞記事では、山口二矢は右翼に加入していた由。
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39. 担任の先生の自殺
私が〇〇高校3年の担任でおられた〇〇先生は当時30歳ごろの物理の先生でした。声が高くて明瞭に話されます。物理の授業は熱心で、普段も大変真面目で明るい先生でした。私は高校卒業後、大学、大学院と進み、就職しました。そして、高校卒業後20年経ったある日の朝刊を見てビックリ。〇〇先生は50歳を過ぎています。「〇〇高校の教諭〇〇が☐☐の歩道橋から、走ってくる車に飛び込み自殺を計って即死。先物取引に失敗し、多額の負債を抱えたのが原因。」と、全国版の3面の10行くらいの小さな記事に載っていました。
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40. 大きな事件・事故と関連すること 長い人生、大きな事件・事故に関連する事が次のようにありました。なかには、新聞のトップ記事に関することもあります。 40.1 ある若い女性のこと 1969年(昭和44年)7月末に核融合懇談会(現在のプラズマ・核融合学会)の大学院生を中心とした若手研究グループが主催するプラズマ夏の学校に参加するため、前日に私は仙台を急行電車で発ち、上野と新宿で乗り換えて、中央本線の小淵沢駅に深夜に着きました。この駅前のベンチで一夜を明かし、翌朝、小海線の小諸行き普通列車に乗り、目的地の松原湖駅に向かいました。
私のいる車輛の前の方のデッキ付近の若い男女のグループが賑やかに楽しそうに喋っています。皆、私より若そうだ。登山か行楽に行くのでしょう。特に、1人の若い女性が大きな声で楽しそうにその場を支配しています。私はこれまで15年間、北海道と東北にずっと住んでいましたので、このグループの、標準語または東京アクセントの賑やかに喋る光景が非常に珍しく、成程、東京付近の若者はこういう垢抜けたものなんだと、妙に感心して聞き入り、一種の憧れのようなものも感じたものです。距離があったので、グループの顔は全く分からず、何を話しているのかも断片的にしか聞き取れませんが、楽しい気分は十分に伝わってきました。他の乗客も、ほぼ静かにそのお喋りを聞いていたに違いありません。兎に角、その女性の甲高い声が印象に残ったものです。 その後も時々その情景が蘇るのです。私の考え違いとは思いますが、その後、学生運動が激しくなり、その時フッと思い付いたのですが、活動家のある女性はあの時の若い女性だったのでは、と。もし、そうだとしたら、あの時の幸福そうな若い女性が、どうなってしまったのか、と他事ながら、思い沈む訳です。 40.2 寿司屋での殺人事件
私が自転車通勤をしていた1970年代後半の冬のある夜の帰り道、〇〇市の第2工業団地裏の淋しい一角にポツンと質素に立っている貸店舗で営業を始めたお寿司屋があるのに気付き、晩飯をここで食べようと入って行きました。お店の右手に一間くらいの幅で奥までお座敷になっており、そのお座敷の奥のコタツで若い4人の男女が楽しそうに鍋を囲みながら談笑しています。その中の一寸、美男子で優しそうだがお喋りの男性が場を楽しく盛り上げています。時々、店の主人に「マスター、あれ持って来て。」とか注文しています。私は、長い座敷の入り口の傍に座って、上、中、下の中寿司を夕食として食べながら、賑やかな会の余波を楽しんでいました。
あの時から約20年を経た2000年頃、妻と500キロものドライブをした帰り、夜も更けて夕食を取るお店が見付からず、大きな森に隣接したある交差点の左折方向100メートルに明るい看板のお寿司屋さんを見つけ、入りました。暖房がよく聞いた新しい店構えのお寿司屋さんです。2階で子供たちがはしゃいでいるらしく、天井越しに子供の足音が聞こえてきます。そういう意味で、明るくよいお店のようです。しかし、初めてのお店なのに、お店の中に入った瞬間から、何か初めてのような気がしないのですよ。それに、暖房のせいもあるのでしょうか、何か脂汗が滲むような焦りを感じました。注文したお寿司を落ち着かない気持ちで食べ終わると、何と、店主の方がにこやかに「前にお会いしたことがありませんでしたかね。今、どこにお住まいですか?」と私に聞くのですよ。私は店主のお顔に記憶がなく、「ウーン。そうでしたかね? 私は分かりませんねー。」と答えました。お店の雰囲気に、何か居ては不味い感じを持ったのですが、私は店主の方には本当に記憶がないのです。先方がこちらを覚えていると今、聞いて、内心、気が動転し、下着は汗びっしょりです。一応、丁寧に挨拶して、ほうほうの体で車で帰宅したのでした。 あの事件のあったお寿司屋さんから南に300メートルの工業団地北端に、当時、普通の住宅の玄関部分をスナックにしたお店がありました。上記の事件の間もなく後に(その時は、未だ、私はお寿司屋さんの事件を知らないでいたのですが・・・)、何と、スナックの女将がお客さんを刺殺した事件もありました。私はそこを通るだけでスナックに入ったことはないのですが、新聞を見て知りました。そのスナックの道路を挟んだ向かい側は、2010年以降、大きな葬祭場となっていて、知人の葬儀に私もその葬祭場を訪れています。 40.3 トラックが路面電車の停留所へ乗り上げた大事故 私が運転免許を取得した翌年の1980年頃、私が当時の実家(大阪府高槻市)に車で帰省していました。父が所有する〇〇県〇〇郡〇〇町の山林を見に行くことになり、父母が新幹線を使って、私が車で高速道路を行き、〇〇駅で落ち合うことにしました。その日のうちに落ち合い、父母を車に乗せて〇〇町の山林を見て来ました。帰りも私が車で、両親が新幹線で帰ることになり、〇〇駅に両親を送り、1人になった僕は〇〇市内を通って高速道路のインターチェンジに向かいました。
ところが、不思議なことに、私の車に付いてくる車が左右前後、1台もありません。今までの大渋滞がウソのようです。即ち、私1台だけが青信号を通過し、その後、私の車1台だけが2車線の大通りを走っています。なぜ車が来ないんだろうと、不思議な気持ちでスイスイと運転していました。30分後には市内を抜けて高速道路に入り、帰途につきました。 翌日、実家で新聞の一面を見て驚きました。昨夕、〇〇市内で1台のトラックが路面電車の停留所に突っ込んで、20人もの人が死傷したとのことが載っているではありませんか。 40.4 ゴルフ場拡張中のブルドーザー死亡事故
1970年代後半に私は茨城県◯◯郡◯◯町のゴルフ場を対岸に見渡せる斜面の山林50坪弱を買いました。5年ローンの総額230万円。ゴルフ場の関連会社がゴルフ場から余った土地を造成して売り出したものの様でした。ゴルフ場と同じ芝生の日当たりのよいきれいな土地で、正面に筑波山が見えます。国道50号線から車で2、3分ほどの便利な所ですが、原野商法だったのかも知れません。それ以来、月に2度ほど、芝生を守るため雑草を抜きに来ていました。当町は調整区域はなく無指定なので上隣には1戸建てが建ちました。
40.5 茨城県奥久慈の不動の滝での遭難事故 1987年10月18日のことです。午前、私は車で茨城県北部の奥久慈男体山(大子町)の直ぐ南にあって籠岩の麓にある不動の滝(その2)入口の小さな駐車場に車を停めて、徒歩で、牛を飼っている最後の農家を通り過ぎて不動の滝に向かって歩いて行きました。昨日の台風がかなりの雨をもたらしました。今日は晴天です。最初は私一人だったのですが、そのうち、私の前に、修験僧二人が中年の女性二人を連れて滝の方に歩いているのに追い付き、まもなく、滝に到達しました。落差15メートルから20メートル位でしょうか。普段は細い滝なのですが、昨日の台風のせいか、ゴーゴーと水が落ちています。彼らは滝の向いにある休憩所で休憩した後、修験僧の指示に従って滝の脇の急坂を登って行ってしまいました。
登っている時は四つん這いで分からなかったのですが、下りようと体を反転した時、傾斜がきつくて普通に下りれば、即、滑落による転落死を意味しています。幅1メートル足らずの道の傾斜は35度から40度。道の右側は山のはるか上まで垂直の壁で塞がれ、左は垂直の崖となって谷底に落ちています。谷底は全く見えません。草木はほとんなく、たまに左下の崖から太さ10センチ程度の木の枝が道の方にかぶっている程度です。下ろうとしているその道は10メートル先で直角に右に曲がっており、曲がり損ねると崖下に転落です。道に尻を付けて座り、20分位、気持ちを落ち着かせてどのように下りようかと思案していました。右足の先を、右の壁と道の境目の突起している岩の出っ張りに引っ掛けて、右手も壁の突起に引っ掛けて、滑り台をゆっくり下りるように、お尻を道につけて少しづつ滑らせながら、ゆっくりと下って行きました。左下の崖の途中に何本かの松が生えているのを見て、もしも左下の崖に転落した時に備えて、あの木に掴まろうと考えながら、ズズッ、ズズッとお尻を摺りながら、少しづつ滑り下りました。10メートル先の右カーブも無事に通り過ぎ、さらに10メートル以上を滑り降り、やっと、滝の上にたどり着き、九死に一生を得たような気持ちになりました。 そして、最初に迷ったもう一つの道、即ち、増水した谷川に接して細くなった道を登ることにしました。こちらの道が正解でした。途中、垂直の崖を横切る道がたった30センチの幅しかなく、鎖にしがみついて行く危険な所もありましたが、籠岩の下を通ってやっと展望台に着きました。これで今回の小さな目的は達成された訳です。そして、そこから安全な道を大きく廻って降り、駐車場にたどり着きました。さて、帰途につこうかと思いながらズボンのお尻の左側ポケットに左手を入れた時、アッ、ある筈の3万円のお札が無いではないか。瞬間、顔が青くなりました。当時の1週間の生活費です。さあ大変。恐らく、急坂をゆっくりと滑り下りる時に、お尻のポケットからお札が出てしまったのです。
午後になってしまいましたが、再度、不動の滝に来ると、午前中は暗かった滝周辺を午後の日差しが照らすようになっていました。で、滝の左手の崖を、再度、滝口に登り、危険な右の道を四つん這いで登りました。2度目で要領を掴んでいましたので、それ程の困難は感じません。上記のように下りる時は右カーブだったのですが、登る時は左カーブなので、そこを曲がって少し登ると、有りました、有りました、1万円札3枚が道に散らばっているのです。ホッとして回収し、前と同じ要領で慎重にお尻を道に付けてゆっくり滑りながら下りた訳です。滝下から谷川沿いの牛を飼っている農家を通って、駐車場に戻りました。イヤー、恐ろしかった。解放感も堪りませんでした。
(註)この不動の滝は国土地理院の地形図に記載がありません。が、危険な崖は地形図に表示されています。
40.6 山火事に遭遇
1997年3月のある休日、私が茨城県西茨城郡七会村(現 城里町)の広大な低山の山林内の林道をドライブしていました。行き交う他の車は全くありません。突然、数機のヘリコプターが車の右後方から左前方(東南方向)に飛来してきて、大量の消火剤を撒いています。山火事です。炎は見えず、少し煙が見える程度ですが、距離は近そうです。この辺りは無人地帯です。後日、来てみると、杉林が真っ黒でした。
グリコ・森永事件が迷宮入りになり、世間から忘れ去られようとしている1986年~1990年頃だったかな(?)、私は当時、実家があった三重県志摩郡阿児町(現 志摩市)に車で帰省して、自宅に戻る途中、伊勢湾フェリーで三重県鳥羽港から愛知県伊良湖港に向かいました。天気はどんよりとした曇り空。そのデッキには、私ともう1人の中年男性の2人きりがいました。その男性は、どう見ても、グリコ・森永事件で手配中の誘拐犯そのものでした。最初に見た瞬間、「アッ。グリコ森永事件のあの人だ」と私は分かったのです。キツネ目で、裾の長いカーキ色の特有のトレンチコート姿。いかにも自信たっぷりの風采と動きで、しきりにタバコを吸っていました。私と彼はお互い、近付いたり、遠のいたりしながらも、無関心を装っていました。この自信満々の態度は、逆に、アッパレという感動を覚えたのですよ。 40.8 病院でよど号ハイジャック事件の最年少の人に出会った? 2018年春にある病院の待合室で待っている時、「・・・が北朝鮮に帰っているものですから・・・・」と大声で窓口の女性職員に話している声が聞こえたので、そちらを見ると、鍔が回り全体に付いた薄茶色のラフな感じの帽子を被った穏やかな顔の中年男性で、2、3年前の民放の特番で見た、かつて、よど号ハイジャック事件で超法規的処置により北朝鮮に渡った赤軍派のメンバーのうち、当時最年少の少年であって、後年、日本に戻って服役後、経営者として成功した、その男の人ではないですか。テレビで放映された男性そのままの姿なのですよ。鍔付きの帽子もそのままです。女性職員の応対は普通でした。世の中、広いようで狭いですね。 return |
41. 交通事故
(1) 2011年8月10日(木)20時50分、私は妻・暁子さんをお迎えに行き、
帰宅途中の茨城県ひたちなか市馬渡を走る国道245号線を北に向かって走っていました。
雷雨が収まったばかりの路面は濡れています。
暁子さんが助手席から「大きなトラックねえ!」と言うので見ると、
巨大なトレーラーが片側2車線の隣の車線を併走しています。
トレーラーの方が早かったので私たちの乗用車を徐々に追い抜いていきました。
運転席の車体だけでも大型トラック1台分あり、連結していた後ろの荷台には高電圧用電線を巻きつけるための巨大なドラムローラー
が8台も載せています。
ただ、電線は巻かれていなくて、すべて空のドラムローラーでした。ナンバーは「岐阜」でした。
「岐阜から遠いところを・・・」と思わずつぶやきました。
(2) 私の実家が、時によって、京阪神だったり三重県だったりで(父母が転勤族でしたので)、私は東名高速道路を年に10回以上の割で利用してきました。
よく覚えていませんが、2005年前後のある日の夕方、東名高速道路上り線の新都夫良野トンネルを抜けて、
急カーブと急勾配が続く下り坂を時速100キロで下っていたときに、
私の後ろから猛スピードで大きな蛇行運転をしているトラックが目の前を追い越してゆきました。
こういう危なっかしい箇所でこのように危険な運転をするトラックはさすがに始めて見ました。
「大丈夫なのだろうか。あのトラックは。」と大いに心配して見送っていました。
運転手はいい気分で得意気に優越感を持って運転していたに違いない。
(3) 私の住む茨城県ひたちなか市の、歴史のありそうな緩やかにカーブしている道を通勤していた2000年ごろ、 黄色のセンターラインを30センチ位対向車線側にはみ出していい気になって運転する同じ車と時々すれ違っていました。 その度に「危ないなあ。」と思っていましたが、あるとき、その路線で対向車線にはみ出して運転していた車が対向車と激突するという事故がニュースで報道されました。 確かめようがありませんが、多分、その車に違いありません。ついにやったか、と。そのニュースの後、あのはみ出し運転の車には出会っていません。 (4) 猛烈な雷雨の中、私は東京からの帰り、未だ片側2車線だった時代の常磐道下り線を、石岡付近を走行していました。 雷雨が一段落した頃、後ろから1人の青年が運転する一寸いい車が得意げに猛スピードで追い抜いてゆきました。 私がしばらく走ってゆくと、その車がガードレールにぶつかって立ち往生しているではありませんか。 青年は大丈夫の様子。 「あーあ。お気の毒に。」と、私はそのまま通り過ぎました。1995年ごろの話です。
(5) 2001年1月4日(木)午後に、母のいる三重県の実家に向けて、東名高速道路下り線を通行していました。
都夫良野トンネルをあと少しで出口にさしかかる頃に渋滞でストップ。
やがて、パトカーや消防車が後方からやって来て、私たちの車を通過して出口の方に疾走して行きました。
トンネル内が右カーブなので、出口は見えません。かなりの時間が経っても車は動きません。
そのうち、停車中のあちこちの車から人々が出てきて、出口の方に歩いて行くので、私たちもそうしました。
出口を出て直ぐに、トラックの火災現場がありました。白煙で包まれています。消防車による消火中でした。
しばらくして鎮火に向かいましたので、私たちは再びトンネル内の車に戻ります。やがて、通行解除になりました。
火災がトンネル内でなくてよかったですねぇ。
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42. 那賀川の洪水に出会う
2019年10月12日(土)に大型で猛烈な台風19号が数日前から豪雨を中部から東日本を広く襲いながら、伊豆半島に上陸し、夜半に東北地方に向かいました。茨城県でも強風と大雨が続きましたが、夜には静まりました。テレビでは、各地で洪水警報が続出はしていました。
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43. 母の死
これは全く個人的なことです。
前記(その1)の2月1日に、志摩市阿児町鵜方の葬祭「七華川」(社長 中川氏)で、浄土真宗大谷派の源慶寺の梛野芳徳住職の読経により家族葬を行いました。母の法名は釈尼妙美。
家族葬の後、直ちに、三重大学医学部に献体されました。そして、母の体は医学部学生の医学実習に役立てられました。
これに対する感謝式(三重大学医学部解剖体感謝式)が2012年10月25日(木)に三重大学大講堂で行われますので、
前日、私は三重県志摩市内のアネックスホテルに宿泊しました。
2年前にもこのホテルを利用しましたので、ホテルのご主人とは顔なじみです。
私が明日の予定を話すと、ご主人曰く、
「私の息子が三重大学医学部の事務室に就職が決まりました。」と嬉しそう。
「三重大学医学部」という偶然の一致は面白いなあ、と思いました。
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44. 化学会社で起きた爆発事故の予感
2012年9月20日頃から数日間、何も考えていないとき、何故か、時々、「アクリロ二トリル」という、 高校か大学で習ったような懐かしい化学物質の名前が頭に浮かんで来るのです。 何でこんな名前が浮かんでくるのかが分からないまま日にちが経ち、9月29日の夕方のテレビニュースで、『兵庫県姫路市の化学工場で「アクリル酸」のタンクが爆発し、 それに巻き込まれた若い消防署員1人が亡くなられた』、と報じられたのです。あれは何かの予感だったのだろうか? 犠牲になった消防署員の名前も私と同じ「山本」なのも何かの因果なのかなあ? return |
45. 東海道線刈谷駅の記憶
昭和31年(1956年)6月、誰もが知っていてお正月にはあちこちで流されて耳にしている琴の名曲「春の海」を作曲、演奏された盲目の宮城道雄さんが、未明の下り寝台急行列車「銀河」から東海道線刈谷駅構内で転落事故に遭われました。トイレのドアとデッキのドアとを間違えたとも、また、謎の転落自殺とも言われました。私が中学生の時でしたが、何故かこれが強い印象として記憶に残っていて、その後、現在に至るまで、何かの節に「東海道線刈谷駅」という語句が脳裏をかすめます。
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46. スズメからの以心伝心
2017年2月18日(土)曇、午後、一時晴れ間
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47. 銀座散歩の怪
私が大学・大学院時代に長年過ごした仙台市から茨城県ひたちなか市に来た時、仙台では無理であったJR線の普通電車での東京への日帰りが可能なので、休日にJR普通電車で東京に日帰りで遊びに行こうと思っていました。しかし、当地に来てから一度もそれを実現しないまま、43年も経ってしまいました。東京へは仕事や帰郷で寄るか通過するか、たまたまのドライブ旅行で都内を車で走行する程度でしかありませんでした。東京都中央区の銀座通りは、札幌南高校の修学旅行の自由行動で1回だけクラスメートと歩いただけです。
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48. TOKIO 騒動を予感した夢
24年間連続でNHK紅白歌合戦に出場しているロックバンド出身で5人で構成される男性アイドルグループの
TOKIO の1人が、泥酔したうえで未成年の女子を自宅に呼んでアルコールを薦めたり、キスをしたというテレビ報道が2018年4月25日になされ、これが社会的に大きな衝撃を与えました。翌26日にその当人が謝罪の記者会見をしていますが、5月1日に東京地検は起訴猶予としました。その翌日、他のメンバー4人の記者会見があって、大変戸惑っている様子が伺えました。
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49. 幼稚園児の交通事故に関する偶然 ?
次の日記をお読みください。
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50. ビル火災の大惨事の予感
2019年7月17日(水)に、ランチ案内のパンフレッドを見た私の妻の要望で、茨城県内の中堅都市の中心にある小さなビル2階の小料理店で寿司ランチをとることに。特急が止まる駅前を人に訪ねながら、表通りから少し裏手に回って、やっと見つけることができた。ビルの1階から直ぐに階段を登って2階に上がる。私は思った。「都市の中心にあるこのような多くのビルが、もし火事でもあったら逃げ場がなくて大惨事になるだろうなあ」と。数年前の東京・新宿の歌舞伎町の火災事故の惨劇を思い出しながら。
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51. なかにし礼氏の訃報の予感
2020年12月24日夜と25日朝のトイレ小のときに、何故か、頭の中で「北酒場」の歌が CD のように流れるのです。僕が特に好きな曲ではないのですが、15年位前の職場の送迎会でどなたかがカラオケで歌っていたのを思い出すのです。12月25日10時半頃の民放テレビのニュースで、 「北酒場」などを作詞された大作詞家のなかにし礼氏が23日に亡くなられていた 、と報じられたのです。24日夜と25日朝の私の現象が予感めいたものとなり、不思議だなあと思うわけです。 return |
52. 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の失言騒動の予感
2021年2月4日(木)昼頃、茨城県内のある食堂で、料理を待っているときに何気なくヒットラーのことが脳裏に浮かんで来た。私が3歳になるまで、あのヒットラーは生存していたのだ。第2次世界大戦を始め、ユダヤ人大虐殺を実行したヒットラーのことは普段ほとんど考えたことがないが、そのときは考えた。
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53. プレゼントの予感
2021年2月4日(木)と5日(金)に何気ない所作のとき、最近になく、A氏のことが脳裏に浮かぶ。A氏と共同で開発事業をしていた時を思い出す。
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54. ピロリ菌の除菌をしました
2014年に種々のテレビ番組で、「ピロリ菌(Helicobacter pylori)が胃がんの原因であることが最近分かった。」と報じていました。
そこで、私も検査を受けてみたいと思うようになりました。
ところで、前記7月16日に撮影した胃のレントゲン検査について、昨日届いた県からの検査結果が「粘膜不整」となっていたので、金曜日に胃カメラの検査の予約をする。
山口先生のお話では、「多分大丈夫でしょうが、念のため、『粘膜不整』として精密検査を促す。」ということらしい。
2022年7月7日(木)にも山口内科クリニックで、山口先生に内視鏡による胃検診をして頂きました。結果は右の写真の通り、胃がんは認められませんでした。 return |
55. コマを回して腰まわりの筋肉が肉離れ
1月12日(月)快晴、昼ごろ北西の風強し。寒くなる。
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56. 私にはホクロが1つもない
かねがね思っていたのですが、女性はホクロが多く、男性はそれ程でもないと。テレビで見る女性タレントは、結構、ホクロが見られる。 なぜ、女性にホクロが多いのだろうか。女性ホルモンの影響か? ちなみに、私(男性)は1つもホクロがない。 return |
57. 兆候
2016年7月頃から 2016年8月24日(水)のほとんど毎日の深夜、お隣の S さん宅の M ちゃん(15歳の犬)がウーウーと悲しそうに泣いていました。昼間はまあまあ元気でおとなしいのですが。M ちゃんが年を取って、寂しがるようになったのかな、と思っていました。
翌 8月26日(金)〔晴、やや暑い〕の 9時半に、三重県志摩市役所民生課から電話があって、妹であるKzkのことで、「三重県鳥羽警察署刑事課に電話をして下さい。」と言われ、鳥羽警察署刑事課に電話をすると、鳥羽警察署刑事課の Umr さんから電話があり、「市の民生課の方から、『Kzkさんの家のゴミがそのままで、呼びかけても応答がない』と私どもに連絡があり、私どもが家の中に入って調べたら、浴室の洗い場にkzkさんが倒れていました。死後かなりの日数が経っているので、Kzkさんであるという確定が出来ません。それで、警察署で遺体を保管しています。近所の方々に聞き回ると、『そう言えば、最近、Kzkさんの姿が見えない。』とのことです。浴室で脱いでいた下着には汚物が付いていて、日数が経って遺体が傷んでいるので、死因は調べても分らないでしょう。戸締りがしっかりしていたので、事件性はないようです。Kzkさんの通っていた歯医者さんに歯形を同定して、本人確認などをしますが、もし特定できないときは、お兄さんにお越し頂いて遺伝子検査のご協力を願いたい。そして、本人確認が出来次第、お骨にしてお戻ししたい。」と仰った。 いやはや、妹は我が強く、髪の毛も真っ黒だし、長生きするのではないか、と思っていたので、今回の孤独死を聞かされて、ビックリ仰天。妹が亡くなったであろう日からこの日までどの位の日数が経ったのかは分からないが、そういえば、隣の S さん宅の M ちゃんが、最近、毎深夜、ウーウーと悲しげに泣くのと関係しているのではないかと、勘ぐられてきた訳です。不思議な感じがしてきたのです。その証拠に、あんなに毎夜ウーウーと悲しげに唸っていたのに、昨日以来、パタと止んでしまったのですから。それと、妹は1947年(昭和21年)の戌年でした。 妹は突然死なのだろうか。脳か心臓か、または、転んで脳震盪を起してそのまま逝ってしまったのか。それとも、栄養の失調でスーッと風呂場で安らかに眠ったまま逝ったのではないか。と言うのは、妹は以前から便秘薬を常用していて、足が痛んで買い物にも不自由でタクシーを利用していたらしく、冷蔵庫の中が空っぽのこともあったからです。警察の方の話では、遺体は日数が経っていて傷みが激しく、死因は同定できないだろう、と言う。妹が可愛そうだ。誕生日が7月29日なので、69歳か70歳となる。本当に残念だ。そういえば、2, 3ヶ月前の妹からの電話で、「足が痛くて歩けない。どこか、入院できる介護病院はないか。」、とか、「お兄ちゃんはもうこちらに来ないのか。」と聞いてきたのが最後だ。僕(茨城県在住)は、「そっちは遠いから、志摩市の民生の人に相談してちょうだい。未だ若いし、介護病院も沢山の人が順番待ちで、直ぐには難しいよ。」と言ってやったのだが。 死亡した直前と思われる頃に、妹から3回、電話があったことが下記のように私の日記に記されています。 6月5日(日)曇、夜半に一時雨 珍しく1年以上振りに妹からTELあって、「もう、何だか分からないわ。」と言う。僕は「志摩病院に相談したら。」と言うと、小さな声で「行きたくない。」という様な事を言うがよく聞こえないので、「聞こえない。」と僕が言うと、妹は「聞こえなくてもいい。」と言う。僕が「何とか頑張って。」と言うと、妹は「お兄ちゃん、年賀状有難う。」と言って、一応電話が終わる。 6月17日(金)快晴 珍しく妹からTELあって、今年で2回目。妹曰く「こちらは何もかも変わってしまって、タクシーが来てくれない。高齢者が乗っている最中に亡くなるかもしれないというので。」。僕は「市役所などに相談したら。」と答える。 6月20日(月)快晴、暑い。 妹からTELあって、「お兄ちゃん、こっちに来てくれない?」と言う。僕は、「そっちに行くのに、往復7万円以上かかるよ。行く用事がないので、行く予定はない。」と答える。 その後、妹からの電話はありませんでした。 今、この記事を書いている8月29日の夜までは、もう、S さん宅の M ちゃんが泣くことはなくなった。妹の遺体が発見されて、一先ず、異常事態が去ったからなのだろうか。 もう一つ、気になることがあった。妹の誕生日は7月29日なのだが、今年の8月1日の昼下がりに何気なく、茨城県鉾田市と大洗町の国道、県道、市道をあちこちさまよいながらドライブしていました。 春に戻ったようなとても穏やかな晴天で真上の天空は青空、しかし、周辺の空には、下図のように、夏の綺麗な積乱雲がたなびいていて、うっとりとした気持ちでドライブしたのでした。後日、考えたのですが、その日は妹の命日を知らせるような何かだったのかな、と。 なお、最初に志摩市役所民生課から電話があった8月26日は、私の誕生日の2日後でした。
11月3日19時に三重県鳥羽警察署から電話があって、昨夕、DNA鑑定の結果、妹の本人確認ができたという知らせが入りました。DNA鑑定が2か月半もかかったのです。それでやっと諸手続きを始めることが出来ますが、最初の手続きである死亡届けにしてから面倒でした。それは、先ず、鳥羽警察署から妹の死亡診断書を送って頂き、届け人の私が住んでいる茨城県ひたちなか市役所に提出して、妹の本籍の新潟県上越市、および、妹の住む三重県志摩市のそれぞれの市役所に通知してもらうよう、申請するという訳です。
その後、私が今後成すべき諸手続きに必要な妹の戸籍謄本一式(戸籍除本を含む)を上越市役所から取り寄せることになる訳です。
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58. 毎年一輪しか咲かないバラ
私の家の庭に、毎年、春と秋に2回、1回につき、たった一輪しか花を付けないバラがあります。一輪だけですが、花の直径は20センチ程度とかなり大きく、しかも、落ち着いた紅色の気高いたたずまいをしています。まるで、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説に出てくるバラを彷彿とさせます。この様子を下の写真で示します。なお、このバラは「管理人のプロフィール(上)」に紹介したバラのことです。
花を付ける枝は2本程度で、年によって、ある枝が枯れると、交代に別の新しい枝が出来る、という具合で、妻の暁子様が水戸市泉町の花屋さんで植木鉢として買って庭に移植して以来、20年経ちますが、一向に枝と花が増えることがありません。これは何の種類のバラなのでしょうか。花が散ると、間もなく葉も散ります。緑の枝だけが残ります。バラの木と言うよりはバラの草のようです。こんなバラを他に見たことがありません。育て方が悪いのでしょうか。しかし、花は綺麗でしっかりしています。10年以上前の若いときには、次の写真のように、一度に2,3輪咲いたこともありました。いつも不思議に思っているバラです。
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59. 菅官房長官の泣きべそ
下記に記した日記(2日連続)のようなことがあった。
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不快指数は
こちらのサイトに、「1957年、米国で蒸し暑さを示す温湿度指数を冷房設計に用いたのが最初。日本では61年夏から使われ始めた。」とあります。日本ではその後、夏の天気予報に不快指数が必ず予報されてきたのですが、どういう訳か、2000年に入ってからは、使われなくなって来ました。夏の体感的な暑さは、気温と湿度の双方で決まるので、気温だけではどの程度の体感的な暑さかは分からないのです。その点、この不快指数は、ずばり、体感的な暑さを表現しています。復活を望む所です。
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2018年3月29日(木)に福島県白河市のスーパーストア「ベイシア」の軽食コーナーで醤油ラーメン390円を食べました。これぞ、白河ラーメンと言える美味しいラーメンだ。そして、メインの出入り口に戻り、直前にある自動販売機でココアを飲んでいた所、直ぐ隣で、地元の女子中学生たちが血管年齢測定器で血管年齢を測ってキャーキャー笑い合っているではないか。前にここに来た時はこの測定器はなかったのだから、最近、設置されたらしい。女子中学生たちが去った後、僕も測ってみた。右手人差し指を所定の穴に差し込んでから30秒かけて測定するという装置である。その測定結果が、嬉しいことに、下左図のように出ました。私の血管年齢が、私の実年齢75歳よりも約15歳も若いという結果なのです。
各項目の評価基準を次に示します。特に、下最右の脈波の評価基準と比べると、何と、私の脈波は30歳代を示しています。
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62. 腰痛の原因の1つがトイレ大の後の・・・ ?
日本人は腰痛に悩んでいる人が多く、突然現れるぎっくり腰も多く聞かれます。その原因は、脊椎管狭窄症など、様々です。
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63. 私の大便は匂わない
この20年以上、私の大便はほとんど匂いがありません。それは、ヨーグルト、牛乳、バナナ、トマト、リンゴ、ホウレンソウまたは小松菜のどちらか、を毎日食べるからです。それに、お酒を全く飲みません。すると、いつの間にか、匂いが消えたのです。10年位前のテレビで紹介されましたが、ある介護病院であるお婆さんのトイレ処理を忘れたケースがあり、調べてみると普段からお婆さんはヨーグルトをたくさんお食べになっていたとか。
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64. 新型コロナウィルスに感染したような気がする・・・ ?
2019年暮れから中国でコウモリとの接触から発症したという新型コロナウィルスによる深刻な肺炎などの症状を表す感染症があっという間に世界に蔓延し、わが国でも深刻な影響を与えてきました。
2020年2月14日(火)の夜に、新型コロナウィルスの世界的パンデミックの影響で、東京オリンピックの1年延期が決定されました。以後、ますます新型コロナウィルス感染者が増加して、2020年4月16日(木)夜に
日本全国に緊急事態宣言となりました。その間、多くの著名人の陽性、死亡が続いています。
2月24日(火)快晴、やや寒い。
以上、赤色の記述は単なる風邪の症状かも知れない。しかし、このような症状は、以前、そんなに出てくるものではなかったので、やはり、新型コロナウイルスのなせる業かも、と。
5月25日にやっと、国からの特別定額給付金(一家族計20万円)の申請書が市から届いた。1か月待たされた。この国のやることは遅い。そして、申請書の書き方が一部なっていない。というのは、うっかりチェック ☑ すると、給付金の受給を拒否したことになるからだ。
その申請書類は右図に示します。
預金通帳を見ると、6月4日に特別定額給付金(一家族計20万円)が振り込まれていた。申請書を郵送してから10日目だ。 緊急事態宣言の解除から2週間経った2020年6月9日に「安倍のマスク」が届いた。見た目はきれい。A様曰く「子供のマスクみたいに小さい」。それが右の写真。 6月18日に日本国内、特に、政府に激震が走った。この日、河井前法務大臣夫妻が公職選挙法違反で逮捕された。現国会議員で法務大臣経験者が逮捕されたのは前代未聞。河井夫妻は国会議員の選挙に当たって、何百万円、計何千万円もの金を広島県議員など100人近くに金を渡した疑い。安倍総理には法務大臣を任命した任命責任が強く求められている。果たして、安倍総理はどのような責任を取るのか? 8月28日(金)夕方、安倍総理大臣が腫瘍性大腸炎再発のため、突然の総理大臣の辞任を表明した。世の中、それを予測していた人、驚きを示す人、様々だ。 この項の最初に、「私はコロナに感染しているかもしれない。」と書きましたが、よく考えるに、多分、感染していないと思います。私も無責任な男だ。
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65. あとがき
どうも私は常人では余り起きないおかしなことが多かったように思います。ここに書き記した以外にも、
いろいろ奇妙なこと、数多くの偶発的な事件現場や事故現場との出食わせがありましたが、
取り止めもないのでこの程度にしておきます。同僚のO先生や馴染のI食堂の旦那さんとは、
お茶飲み話の種にしてきましたが。
高専に赴任してからしばらく後に怪奇現象や超常現象や超能力が流行った頃、
学生から「先生はテレパシーを信じますか。」と聞かれることがあります。「何? テレパシー? そんなのあるわけないだろう。何言ってんだ。アハハ。」と私が言うと、
「先生は何か超能力を持っているように見えるんで。」と弁解するのですよ。この種の学生側の質問が、私の若い頃に度々ありました。
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四時川渓谷の紅葉(つづき) 1997年11月10日(月) 天気は晴 川沿いの危険な林道にて |
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四時川渓谷の紅葉(その2) 上の5年前の1992年11月上旬 天気は高曇り 川沿いの危険な林道にて 人の来ることのない渓谷の紅葉の色はかくの如しです。 しかし、今はここに来ることは危ないかも知れません。 |
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付録 2 モミジの落ち葉
2004年12月上旬に山本暁子様が集めたモミジの落ち葉たちです。綺麗なので載せました。 |
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茨城県ひたちなか市にて山本暁子様が採取 2004年12月上旬に山本暁子様が撮影 |
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付録 3 変わった道路表示と交通安全看板
下左の画像は制限速度が時速45キロを示しています。中途半端な珍しい数値です。
理由は分かりませんが、ダム工事車両通行用のためか、と思いました。1990年5月の連休にたまたま訪れた
山形県西置賜郡飯豊町にある白川ダム奥の一般道です。
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山形県西置賜郡飯豊町にある白川ダム奥(飯豊山のふもと)にて |
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新潟県北魚沼郡湯之谷村(現 魚沼市)の国道352号線 1993年8月上旬(夕方) |
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付録 4 ベニテングタケ(紅天狗茸)
童話の絵によく出てきますが、実際に見ることは滅多にありません。
広島県東広島市上三永の道路際の山林に見つけました。
ここは、住宅が散在しますが、マムシが多いそうです。
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広島県東広島市上三永にて 2004年9月18日(土) 撮影は山本暁子さん |
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付録 5 台風一過の夕焼け
2013年9月16日(月)に京都府京都市と福知山市をはじめとする日本各地の洪水や 埼玉県熊谷市など日本の数箇所を襲った竜巻・突風による災害をもたらした台風18号は その日の夜に温帯低気圧となって北海道の東に去っていきましたが、この台風一過の怪しい夕焼けが次の画像で、 18時頃の茨城県ひたちなか市での撮影です。 黄金色と朱色、そして、雲の切れ間に見える青空が特徴でした。 |
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茨城県ひたちなか市馬渡にて 2013年9月16日(月)18時頃 |
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付録 6 晩秋における石楠花の狂い咲き
2013年の秋は、10月はじめまで真夏日(東京で)があるなど、夏が秋に食い込む形となった後に、
初冬のような記録的寒さが1週間続き、その直後に再び記録的暑さがぶり返しました。
この影響で、茨城県ひたちなか市にある私の家の庭の石楠花が狂い咲きました。
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茨城県ひたちなか市の自宅の庭にて 2013年10月14日(月)16時頃に撮影 |
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付録 7 熱気球
2013年11月22日(金)夕方に栃木県芳賀郡芳賀町をドライブしたときに、たまたま、熱気球がたくさん西の空に浮かんでいました。 検索すると、「 とちぎ熱気球インターナショナルチャンピオンシップ」のようです。 |
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栃木県芳賀郡芳賀町にて 2013年11月22日(金)夕方 |
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和服姿のちょっと珍しいトイレ案内板です。 2014年1月13日(月)午後に茨城県笠間市にある笠間稲荷神社に初詣に行ったときに、 休憩所で見つけました。さすが、神社。 |
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付録 9 明日への希望が湧く夕空
2014年8月2日(土)夕方に茨城県ひたちなか市新光町を通りかかったときに、明日への希望につながるような、きれいな夕空が現れました。 |
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茨城県ひたちなか市新光町にて 2014年8月2日(土)夕方 |
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付録 10 伐採林
2015年6月18日(木)午後、茨城県大子町の広域農道アップルラインを通ったときに、山全体が伐採された風景が見られました。 |
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茨城県大子町の広域農道アップルラインにて 2015年6月18日(木)午後 |
付録 11 幻想的な海外のアート
茨城県那珂市の「日本一ラーメン」というお店の奥のボックス席の壁に、下の写真に示すような大変幻想的なアートが飾られています。海外のアートです。日本人の感覚では到底生まれないような作品で、いくら見ても飽きが来ず、「どこかで見たような景色だなあ」という、ある種の懐かしさを抱いて見入ってしまいます。そこに描かれてある非現実的自然に入り込んで、その幻想的な自然を体験したくなります。作者は、カリフォルニア生まれでハワイ育ちの Christian Riese Lassen(その2) のようです。 残念ながら、下の写真には室内の電燈や外の光が反射して写り込んでいますので、作品がはっきりと写されていません。幸い、角度を変えて2つの写真を撮ってあり、左が生の写真の一つで、右がもう一つの写真を切り取って、左の写真の光っている個所に植え付けて、光っている所を出来るだけ無くするようにしたものです。 |
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茨城県那珂市の「日本一ラーメン」店にて 2018年2月撮影 |
妻の曉子さんも若い時に Christian Riese Lassen の作品のコピーを買って持っていました。 年月が経ってかなり傷んでいますが、次の画像です。 |
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2019年7月撮影 |
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付録 12 鉄道線路を走行できるトラック
2019年10月16日(水)に福島県東白川郡鮫川村の道の駅「手まめ館」に昼食に行く途中の茨城県常陸太田市里美地区の349号線を車で走っていると、僕の前にはトラックがいます。よく見ると、野田ナンバーの鉄道線路でも走ることのできる鉄道車両も備えた珍しいトラックであることが近づいたときに分かりました。助手席の暁子様に撮ってもらいました。 |
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茨城県常陸太田市里美地区の 国道349号線にて 2019年10月16日(水)12時頃 |
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付録 13 夢の中で浮かび出た短い曲
2006年6月17日早朝の夢の中で、自然に浮かび出た短い曲はこちら_
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これをクリックすると、画面右下に、または、ダウンロード画面に 「short_and_simple_melody.mscz」ファイルが表示されますので、それをクリックします。すると、楽譜が表示されます。楽譜の上にある指示記号のうちの ▶ 記号をクリックしてください。すると、演奏が始まります。演奏を止める時も ▶ 記号をクリックします。
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余情 きれいなクラシック音楽など
第2次世界大戦の戦後以来、1960年代まで、NHK第一、第二放送、さらには民間放送でも、ポピュラーできれいなクラシック音楽が相当数放送されていました。
その後、NHK・FM放送に移行しましたが、次第にポピュラーできれいなクラシック音楽を聞くことがほとんどといっていい位なくなりました。
すなわち、現在はクラシック不毛の時代になっています。私の感じでは、放送からクラシック音楽が流れなくなった頃から、
いじめ問題等の青少年の暗い出来事が急に多くなってきたように思います。
青少年の情操が干からびたからだ、と思われます。
クラシック音楽 (1) メンデルスゾーン作曲 春の歌 (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (その7) (その8) (その9) (2) オッフェンバック作曲 ホフマンの舟歌 (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (その7) (3) ビゼー作曲「アルルの女」より メヌエット (その2) (その3) (4) ドリーブ作曲「コッペリア」より ワルツ (その2) (その3) (その4) (その5) (5) ドリーブ作曲 「コッペリア」より マズルカ (その2) (その3) (6) ドリーブ作曲 バレエ組曲「コッペリア」全曲 (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (その7-1 、その7-2) (7) ポンキエッリ作曲「ラ・ジョコンダ」より 時の踊り (その2) (8) シューベルト作曲 ます」 (同 ピアノ五重奏曲 第4楽章) (9) ドリーゴのセレナーデ (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (11) トセリ作曲「嘆きのセレナーデ」 (その2) (12) ランゲ作曲「花の歌」 (13) モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」より 恋とはどんなものかしら (その2) (14) ドイツ民謡 Alle Voegel sind schon da(和題 霞か雲か) (15) ヴェルディ作曲「椿姫」より 第一幕の前奏曲 (その2) (16) ヴェルディ作曲「椿姫」より 乾杯の歌 (その2) (17) ヴェルディ作曲「椿姫」より ああ そはかの人か~花から花へ (その2) (その3) (19) グリーグ作曲「ペールギュント」より ソルヴェイグの歌 (その2) (その3) (21) チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より 葦笛の踊り (その2) (22) チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より 金平糖の踊り (23) チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より 花のワルツ (その2) (その3) (24) ビゼー作曲「カルメン」より ハバネラ (25) ドビッシー作曲 月の光 (その2) (26) ドビッシー作曲 牧神の午後への前奏曲 (28) シューベルト作曲 野ばら (29) ヨハン・シュトラウス作曲 美しく青きドナウ (その2) (その3) (その4) (30) ヨハン・シュトラウス作曲 南国のバラ (31) ヨハン・シュトラウス2世作曲 春の声 (その2) (その3) (その4) (その5) (32) ヨハン・シュトラウス2世作曲 皇帝円舞曲 (その2) (33) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ウィーンの森の物語 (その2) (その3) (34) 武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲 花 (35) 吉丸一昌作詞、中田章作曲 早春賦 (その2) (36) マスネ作曲 タイスの瞑想曲 (その2) (37) ハイケンスのセレナーデ (その2) (その3) (38) ハイケンス作曲 ドナウ河のさざ波 (39) シベリウス作曲 悲しきワルツ(旧題名 死の円舞曲 ?) (その2) (40) ハイドンのセレナーデ (その2) (41) ボッケリーニのメヌエット (42) バダジェフスカ作曲 乙女の祈り (43) ドビュッシー作曲 アラベスク 第1番 (その2) (44-1) チャイコフスキー作曲「眠れる森の美女」より ワルツ (44-2) チャイコフスキー作曲「眠れる森の美女」より いつか夢で (その2〔ディズニー映画〕) (その3〔ディズニー映画〕) (45) チャイコフスキー作曲「眠れる森の美女」より アダージョ (46) ショパン作曲 別れの曲 エチュード (47) ワルトトイフェル作曲 スケーターズ・ワルツ (その2) (48) マスカーニ作曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 間奏曲 (その2) (49) ショパン作曲 夜想曲(ノクターン)第2番 (その2) (50) レハール作曲 喜歌劇 「メリー・ウィドウ」より 唇は黙しても (その2) (その3) (51) レハール作曲 喜歌劇 「メリー・ウィドウ」より ヴィリアの歌 (その2) (52) レハール作曲 メリー・ウィドウ・ワルツ (その2) (53) プッチーニ作曲 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より 私のお父さん (その2) (54) ドビュッシー作曲 夢(夢想) Reverie (その2) (55) クライスラー作曲 愛の喜び (56) クライスラー作曲 愛の悲しみ (57) クライスラー作曲 美しきロスマリン (58) イェッセル作曲 おもちゃの兵隊の観兵式 (59) マーラー作曲 交響曲第5番 第4楽章 (60) ヨハン・シュトラウス2世作曲 アンネンポルカ (その2) (61) ルイ13世 作曲 アマリリス (その2) (その3) (62) ドヴォルザーク作曲 ユーモレスク (64) ドヴォルザーク作曲 ロマの歌 (ジプシーの歌)より 我が母の教え給いし歌 (その2) (その3) (65) シューベルト作曲 楽興の時 第3番。 (66) チャイコフスキー作曲「四季」より 舟歌 (67) ドビュッシー作曲 夢 (その2) (68) ブラームス作曲 ワルツ第15番 (69) マリー作曲 金婚式 (70) メンデルスゾーン作曲 歌の翼に (71) ベルリオーズ作曲 幻想交響曲 第2楽章 (その2) (72) アルベニス作曲 組曲スペイン165-2 タンゴ (その2) (その3) (その4) (73) ボロディン作曲 ノックターン(夜想曲) (その2) (74) ウェーバー作曲 舞踏への勧誘 (75) ショパン作曲 華麗なる円舞曲 (その2) (76) シューベルトのセレナーデ (78) チャイコフスキー作曲 白鳥の湖 第2幕よりオデットのヴァリアシオ (79) チャイコフスキー作曲 白鳥の湖 第2幕から 4羽の白鳥たちの踊り (80) チャイコフスキー作曲 白鳥の湖 情景 (81) ラフマニノフ作曲 交響曲第2番 第3楽章 (82) モーツァルト作曲 春への憧れ (83) ワーグナー作曲 ジークフリート牧歌 (その2) (84) プッチーニ作曲 「トスカ」より 歌に生き恋に生き、または、歌に生き愛に生き (86) ハイドンのセレナーデ > (87) スッペ作曲 喜歌劇「ボッカチオ」より ベアトリ姐ちゃん (その2) (88) アルヴェーン作曲 スウェーデン狂詩曲 (その2) (90) ドルドラ作曲 思い出 (92) リスト作曲 愛の夢 第3番 (94) ヨハン・シュトラウス2世作曲 喜歌劇「蝙蝠」 序曲 (95) ラヴェル作曲 亡き王女のためのパヴァーヌ (その2) (99) ベートーヴェン作曲 ヴァイオリンソナタ第5番「春」 第1楽章 (100) リスト作曲 カンパネラ (101) ショパン作曲 幻想即興曲 (102) ヴォルフ=フェラーリ作曲 聖母の宝石(マドンナの宝石) 間奏曲 (103) モーツァルト作曲 ? 子守歌 (104) ブラームス作曲 子守歌 (105) シューベルト作曲 子守歌 (106) ヒューゴ・アルヴェーン作曲 スペイン狂詩曲 (その2) (107) シューマン作曲 子供の情景 作品15 より 第7曲 トロイメライ (108) ベートーヴェン作曲 エリーゼのために (109) ウェーバー作曲 歌劇「魔弾の射手」より 狩人の合唱 (110) メンデルスゾーン作曲 結婚行進曲 (111) ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」より 婚礼の合唱(結婚行進曲) (112) サラサーテ作曲 チゴイネルワイゼン (その2) (113) ヨハン・シュランメル作曲 ウィーンはいつもウィーン (114) ロッシーニ作曲 歌劇「セビリアの理髪師」 序曲 (115) グルック作曲 精霊の踊り (曲相その1) (その2) (116) グルック作曲 精霊の踊り (曲相その2) (その2) (117) ブラームス作曲 交響曲 第1番 ハ短調(後半によく知られているメロディがある) (118) リムスキー=コルサコフ作曲 歌劇「サトコ」より インドの歌 (その2) (その3) (119) レスピーギ作曲 リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」より イタリアーナ (その2) (その3) (120) ベルリオーズ作曲 劇的物語「ファウストの劫罰」より 妖精の踊り 鬼火のメヌエット (その2) (その3) (121) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ポルカ「観光列車」 (122) ベートーヴェン作曲 メヌエット ト長調 (123) シューベルト作曲 交響曲第8番「未完成」 第1楽章 (124) ベートーヴェン作曲 ロマンス 第2番 (125) ラフマニノフ作曲 ヴォカリーズ (126) ブラームス作曲 流浪の民 (127) フォーレ作曲 シチリアーノ (その2) (その3) (その4) (その5) (128) ビゼー作曲 アルルの女 第1組曲 (129) ベルリオーズ作曲 幻想交響曲 第2楽章/ロリン・マゼール (130) グリンカ作曲 歌劇「ルスランとリュドミラ」 序曲 (その2) (131) グリーク作曲 ピアノ協奏曲イ短調 (132) レハール作曲 金と銀 (その2) (133) モーツァルト作曲 魔笛 夜の女王のアリア (134) モーツァルト作曲 魔笛 俺は鳥刺し (135) モーツァルト作曲 魔笛 娘か可愛い女房が (136) ドビュッシー作曲 亜麻色の髪の乙女 (137) チャイコフスキー作曲 イタリア奇想曲 (138) シャブリエ作曲 狂詩曲「スペイン」 (その2) (139) ワルトトイフェル作曲 ワルツ「スペイン」 (140) ワルトトイフェル作曲 女学生 (141) アンダーソン作曲 トランペット吹きの子守唄 (その2) (その3) (142) アンダーソン作曲 トランペット吹きの休日 (143) アンダーソン作曲 シンコペーティド・クロック (その2) (144) アンダーソン作曲 クリスマス・フェスティヴァル (145) アンダーソン作曲 忘れられし夢 (146) アンダーソン作曲 ザ・ワルツィング・キャット(踊る子猫) (147) アンダーソン作曲 舞踏会の美女 (148) モーツァルト作曲 クラリネット協奏曲 (149) ローサス作曲 波濤をこえて (150) スッペ作曲 「軽騎兵」序曲 (151) ショパン作曲 アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ (152) リスト作曲 交響詩「プレリュード」 (153) チャイコフスキー作曲 弦楽四重奏曲第1番 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」 (その2) (154) バーバー作曲 弦楽のためのアダージョ (155) ヴェルディ作曲 歌劇「ナブッコ」より 行けわが想いよ黄金の翼に乗って (156) ゴセック作曲 ガヴォット (その2) (157) ワーグナー作曲 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 第一幕への前奏曲 (158) ヴェルディ作曲 歌劇「リゴレット」より 慕わしい人の名は (159) ショパン作曲 別れの曲 (160) モーツァルト作曲 レクイエム全曲 (161) モーツァルト作曲 涙の日~レクイエム (162) ヘンデル作曲 歌劇「リナルド」より 涙の流れるままに (163) グリンカ作曲 歌劇「ルスランとリュドミュラ」 序曲 (164) ベートーヴェン作曲 月光 (165) グラズノフ作曲 「四季」より 春 (166) シューベルト作曲 4つの即興曲 D.935, op.142 (167) メンデルスゾーン作曲 交響曲第4番 イ長調 「イタリア」 (168) ラヴェル作曲 マ・メール・ロワ (169) チャイコフスキー作曲 弦楽セレナード ハ長調 作品48 [第2楽章にきれいな曲あり] (170) バッハ作曲 ガボット (171) シューマン作曲 ピアノ協奏曲 イ短調 (172) リスト作曲 交響詩「レ・プレリュード」 (173) ゴダール作曲 ジョスランの子守歌 (174) マーラー作曲 交響曲第4番ト長調 (175) ハイドン作曲 弦楽四重奏曲「皇帝」 第2楽章 (176) ハイドン作曲 弦楽四重奏曲「ひばり」 (177) マスカーニ作曲 アヴェ・マリア (その2) (178) モントヴァーニー作曲 スウェーデン狂詩曲 第1番「夏至の徹夜祭」 (179) メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 第1楽章 (180) リスト作曲 ハンガリー狂詩曲 第2番 (181) ブラームス作曲 ハンガリー舞曲 第5番 (182) ドヴォルザーク作曲 スラヴ舞曲 作品72の2 (183) チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲 第1番 (184) ドニゼッティ作曲 ドン・パスクワーレ (序曲が少しきれい) (185) レスピーギ作曲 リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲 (186) プッチーニ作曲 小さなワルツ (187) ハイドン作曲 交響曲第101番 時計 第2楽章 (188) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ワルツ「レモンの花咲くところ」 (189) サラサーテ作曲 カルメン幻想曲 (190) プッチーニ作曲 蝶々夫人 第2幕の最後に歌われるコーラス(このコーラス部分だけの YouTube は見つかりません) (191) ラヴェル作曲 亡き王女のためのパヴァーヌ (その2) (192) ショパン作曲 24の前奏曲 第15番 雨だれ (193) ワーグナー作曲 歌劇「タンホイザー」より「大行進曲」 (その2) (194) メンデルスゾーン作曲 劇音楽「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」 (195) モーツァルト作曲 セレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(小夜曲) (196) サティ作曲 あなたが欲しい(ジュ・トゥ・ヴー) (その2) (その3) (197) ビゼー作曲 アルルの女より第2組曲 第4曲 「ファランドール」 (198) パデレフスキー作曲 メヌエット (その2) (199) ケテルビー作曲 ペルシャの市場にて (その2) (200) ヴィヴァルディ作曲 四季 (201) モーツァルト作曲 ピアノ・ソナタ第11番イ長調(トルコ行進曲付き) (202) モーツァルト作曲 トルコ行進曲 (203) ベートーヴェン作曲 トルコ行進曲 (204) シューベルト作曲 楽興の時 第3番 (205) オッフェンバック作曲 喜歌劇「天国と地獄」 序曲 (206) ビゼー作曲 ホフマン編曲 カルメン組曲 (その2) (その3) (207) ビゼー作曲 アルルの女(第1組曲・第2組曲)、および、カルメン組曲 (208) ビゼー作曲 「カルメン」組曲 第2番: No. 6 ジプシーの踊り (209) ヨハン・シュトラウス作曲 常動曲 (210) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ウィーン気質 (211) ヨーゼフ・シュトラウス作曲 オーストリアの村つばめ (212) ワルトトイフェル作曲 美のきわみ (213) ショパン作曲 英雄ポロネーズ (214) シューベルト作曲 アヴェ・マリア (215_1) ブラームス作曲 交響曲第3番第3楽章 (その2) (テレビのサスペンスによく使われる) (215_2) ブラームス作曲 交響曲第3番 (216) ポンセ作曲 小さな星(Estrellita) (217) バッハ作曲 トッカータとフーガ ニ短調 (218) グリンカ作曲 歌劇「ルスランとリュドミラ」より「序曲」 (219) アイレンベルク作曲 森の水車 (220) エネスク作曲 ルーマニア狂詩曲 第1番 (221) エネスク作曲 交響曲第1番 変ホ長調 作品13 (222) ベルワルド作曲 交響曲第4番 変ホ長調 「繊細な」:第2楽章 (223) サティ作曲 ジュ・トゥ・ヴ (224) グローフェ作曲 大峡谷 (225) バレエ ラ・バヤデール よりアダージョ (音楽:レオン・ミンクス、振付:マリウス・プティパ) (226) クライスラー作曲 ウィーン奇想曲 (227) フォーレ作曲 組曲「シャイロック」より「夜想曲」 (228) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ポルカ「雷鳴と電光」 (229) ベルリオーズ作曲 幻想交響曲 (230) マスネ作曲 エレジー(悲歌) (231) ヨーゼフ・シュトラウス作曲 わが人生は愛と喜び (232) リムスキー=コルサコフ作曲 スペイン奇想曲 (233) メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 (234) ロンバーク作曲 学生王子のセレナーデ (その2) (235) ファリャ作曲 バレエ音楽「恋は魔術師」より 火祭りの踊り (236) ドビュッシー作曲 亜麻色の髪の乙女 (237) ビゼー作曲 無言歌「ラインの歌」より 暁 (その2) (238) グリエール作曲 コロラトゥーラソプラノのための協奏曲 (その2) (239) ニコライ作曲 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」より 序曲 (240) スメタナ作曲 歌劇「売られた花嫁」より 序曲 (241) ドヴォルザーク作曲 ユーモレスク (242) ベートーヴェン作曲 ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 第2楽章 (243) ベートーヴェン作曲 ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 第3楽章 (244) ヘンデル作曲 オラトリオ「マカベウスのユダ」第3幕 見よ、勇者は帰る (245) エルガー作曲 行進曲 威風堂々 第1番 (246) リムスキー=コルサコフ作曲 交響組曲 シェエラザード (247) ドヴォルザーク作曲 弦楽セレナード ホ長調 Op.22 第1楽章 (248) ドヴォルザーク作曲 弦楽セレナード ホ長調 Op.22 第2楽章 (249) ドヴォルザーク作曲 弦楽セレナード ホ長調 Op.22 全楽章 (250) モーツァルト作曲 交響曲 第41番 ジュピター (251) シューベルト作曲 ロザムンデ 第3幕 間奏曲 (252) サン=サーンス作曲 動物の謝肉祭 - 白鳥 (253) サン=サーンス作曲 動物の謝肉祭 - 水族館 (254) ドヴォルザーク作曲 交響曲 第8番 (255) ワーグナー作曲 歌劇「タンホイザー」 序曲 (その2) (256) ヨーゼフ・シュトラウス作曲 ワルツ 水彩画 (257) オッフェンバック作曲 「ホフマン物語」より アーバーの鳥 (258) グリーグ作曲 ピアノ協奏曲 イ短調 (259) ショパン作曲 24の前奏曲 第7番 (260) ラフマニノフ作曲 パガニーニの主題による狂詩曲 - 第18変奏 (261) ジーツィンスキー作曲 ウィーン、わが夢の街 (262) モーツァルト作曲 交響曲 第40番 第1楽章 (263) V. モンティ作曲 チャルダッシュ (264) オッフェンバック作曲 歌劇「ホフマン物語」より 森の小鳥はあこがれを歌う (その2) (265) グリーグ作曲 ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 (266) ヨハン・シュトラウス2世作曲 ワルツ 朝刊 (267) イヴァノヴィチ作曲 ドナウ河のさざなみ (268) レハール作曲 ワルツ 金と銀 (269) アイレンベルク作曲 森の水車 (270) マリ作曲 金婚式 (271) ネッケ作曲 クシコスの郵便馬車 (272) パデレフスキ作曲 メヌエット ト長調 作品14第1 (273) ベートーヴェン作曲 ヴァイオリン・ソナタ 第5番 春 第1楽章 (274) スメタナ作曲 モルダウ (275) モーツァルト作曲 フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 (276) ベートーヴェン作曲 交響曲 第6番 田園 (277) チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 (278) ビゼー作曲 ラインの歌 (279) メンデルスゾーン作曲 劇音楽 夏の夜の夢 全曲 (280) モーツァルト作曲 ピアノソナタ ハ長調 K.545 (281) サラサーテ作曲 カルメン幻想曲 (282) イッポリトフ=イヴァノフ作曲 組曲「コーカサスの風景」第1番:酋長の行列 (283) イッポリトフ=イヴァノフ作曲 組曲「コーカサスの風景」第1番:村にて (284) ロッシーニ作曲 歌劇「ウィリアム・テル」 序曲 (285) ゴセック作曲 ガボット (286) ケテルビー作曲 修道院の庭にて (287) ケテルビー作曲 時計とドレスデン人形 (288) スーザ作曲 行進曲「星条旗よ永遠なれ」 (289) シューベルト作曲 軍隊行進曲 (その2) (その3) (その4) (290) レーガー作曲 モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ (291) ラヴェル作曲 ボレロ (292) モーツァルト作曲 ロンド ニ長調 (293) ワーグナー作曲 ワルキューレの騎行 (294) プッチーニ作曲 小さなワルツ (295) プッチーニ作曲 交響的前奏曲 (296) モーツァルト作曲 ロンド ニ長調 K.485 (297) モーツァルト作曲 ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412 第1楽章 (298) モーツァルト作曲 恋人か女房があればいい(歌劇「魔笛」から) (299) モーツァルト作曲 アヴェ・ヴェルム・コルプス (300) モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」から 序曲 (301) モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」から もう飛ぶまいぞ、このちょうちょう (302) モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」から カヴァティーナ (303) オッフェンバック作曲 歌劇「ホフマン物語」からオリンピアの歌 (304) ショスタコーヴィチ作曲 セカンド・ワルツ (305) ロッシーニ作曲 歌劇「セヴィリアの理髪師」より 私は街の何でも屋 (306) ショパン作曲 ワルツ 第8番 変イ長調 (307) ショパン作曲 ワルツ 第7番 嬰ハ短調 (308) ビゼー作曲 無言歌 「ラインの歌 」より「暁」 (309) ショパン作曲 華麗なる大円舞曲
(310) 1964年に仙台市に下宿していたときに、下宿の夕食時の19時前、東北放送の天気予報でバックグラウンド・ミュージックに流れていた曲が日替わりで2曲あって、1つはドリーゴのセレナーデ「以下のセミクラシック曲の(1)番参照」でしたが、もう1曲の題名が分からず、私が musescore (マイクロソフト社が無料で提供している楽譜演奏ソフト)を使って編集しました。それがこちら_
。
これをクリックすると、画面右下に、または、ダウンロード画面に 「unknown.mscz」ファイルが表示されますので、それをクリックします。すると、楽譜が表示されます。楽譜の上にある指示記号のうちの ▶ 記号をクリックしてください。すると、演奏が始まります。演奏を止める時も ▶ 記号をクリックします。
そのほか、セミクラシックとも言えるきれいな曲、ポピュラーでも有名できれいな曲をいくつか上げてみます。 (2) REGINELLA CAMPAGNOLA(村の娘) (その2) (その3) (その4) (3) 1952年イギリス映画「赤い風車」のテーマ曲 『ムーランルージュの歌』(パーシーフェイス〔Percy Faith〕楽団) (その2) (その3) (その4) (その5) (4) 1959年アメリカ映画「避暑地の出来事」のテーマ曲『夏の日の恋』(パーシーフェイス楽団) (その2) (5) 1957年アメリカ映画「昼下がりのジョージ」のテーの曲『魅惑のワルツ (Fascination) 』(パーシーフェイス楽団) (その2) (6) 1949年初演のブロードウェイミュージカル「南太平洋」より 『魅惑の宵』(マントヴァー二 オーケストラ) (その2) (その3) (7) Francis Lai 映画「白い恋人たち」13 Jours en France (その2) (9) アンデス民謡「花祭り」 (その2) (その3) (10) ソラメンテ・ウナ・ベス (その2) (11) すみれの花咲く頃 (その2(宝塚歌劇)) (その3) (13) 口笛吹きと犬 (14) ヴォラーレ (15) ジェームス・ライマン・モロイ作曲「なつかしき愛の歌」 (16) DI CHIARA VINCENZO 作曲「LA SPAGNOLA」 (17) ダニエル・パーチェ作詞、マリオ・パンゼリ、ロベルト・リヴラーギ作曲「愛の花咲くとき A Man Without Love」 (その2) (18) アリヴェデルチ・ローマ (その2) (22) ポンセ作曲「Estrellita(エストレリータ、小さな星)」 (その2) (その3) (その4) (24) 真珠貝の歌 (25) 真珠採りのタンゴ (26) 星空のブルース (28) 恋をして (31) ビア樽ポルカ(Rosamunde Polka)(Böhmische Polka) (その2) (その3) (その4) (32) 魅惑のワルツ (33) 映画「80日間世界一周」のテーマ曲 (その2) (その3) (34) ポーランド民謡「森へ行きましょう(Szla dzieweczka do laseczka)」 (その2) (その3) (その4) (その5) (35) ポーランド民謡「クラリネットポルカ」 (36) ゆかいに歩けば(Der frohliche Wanderer) (その2) (その3) (その4) (その5) (37) スイス民謡「ホルディリディア(Mein Vater ist ein Appenzeller)」 (その2) (その3) (38) チェコ民謡「おお牧場はみどり(Horela lipka horela)」 (その2) (その3) (39) シャンソン「ラ・ヴィ・アン・ローズ」 (41) 朝はどこから (43) ラストダンスは私に Save the last dance for me (その2) (45) ナポリ民謡「オーソレミオ」 (その2) (46) ナポリ民謡「帰れソレントへ」 (47) イタリア大衆歌謡「フニクリフニクラ」 (48) パット・ブーン歌「砂に書いたラブ・レター」1957年頃 (49) セレソ・ローサ (51) つれない心(カタリ・カタリ) (54) La Paloma(ラ・パロマ) (その2) (その3) (その4) (その5) (その6) (その7) (その8) (55) Shall We Dance (その2) (56) メリー・ポピンズ (57) The Sound of Music Opening Scene from The Sound of Music (58) Do Re Mi From The Sound of Music (With Lyrics) (59) I Could Have Danced All Night from My Fair Lady (踊り明かそう) (60) エルガー作曲「愛の挨拶」 (61) トスティのセレナータ (62) 美しき天然 (65) ナポリ民謡「海に来たれ」 (66) 会議は踊る (67) ライムライト (68) 白銀は招くよ (70) 第三の男 (71) From my first moment (72) オリーブの首飾り (73) シェーンより「遥かなる山並み」 (74) La Mer (75) 珊瑚礁の彼方 (76) ブルーハワイ (77) ハワイの結婚の歌 (80) 「ある日どこかで」より (81) Heigh Ho(白雪姫と7人の小人)(白雪姫と7人の小人) (82) 虹の彼方に (83) ビビディ・バビディ・ブー(シンデレラ) (84) イッツ・ア・スモール・ワールド(ディズニーランド) (その2) (その3) (その4) (その5) (85) 狼なんかこわくない Who's Afraid of the Big Bad Wolf(三匹の子豚) (86) Blue Canary (87) 映画「南太平洋」から バリハイ(Bali Ha'i) (その2) (89) 映画「明日に向って撃て」 (90) 映画「エデンの東」 (91) 浪路はるかに (92) CHA-CHA-CHA (93) 忘れられし夢 (94) ブルー・タンゴ (97) ジェラシー (98) 僕の伯父さん (Mon Oncle) (その2) (99) Volare(ヴォラーレ) (100) アルハンブラの思い出 (101) スマイル(チャップリン作曲) (102) 甘納豆 お菓子の世界より (103) キサス・キサス・キサス (104) ベニスの夏の日~旅情 (105) バラ色の人生 (106) 旅情 (107) おおブレネリ (108) マリア・エレーナ (109) Stranger in Paradise (その2) (110) 霧のサンフランシスコ (111) スペイン舞曲集:アンダルーサ (112) マイアミ ビーチルンバ (その2) (114) 遥かなるサンタルチア (115) ナポリ民謡「サンタルチア」 (116) 好きにならずにはいられない (その2) (117) 黄色いリボン (118) O Holy Night (119) エトピリカ 葉加瀬太郎 日本がバブル期(1980年から1990年)の直前に一世を風靡した ABBA (スウェーデンの男女4人のグループ) の曲 (1) Dancing Queen (その2) (2) Waterloo (4) ABBA Gold: Greatest Hits Full Album 1952年(昭和27年)以降の青春の心に残るポップスです。(これは、このページの前巻である不思議なこと(上)のあちこちに紹介したポップスも採録しています。) (3) 雨に唄えば (4) ハートブレイク・ホテル (5) Love Me Tender (7) ウスクダラ (9) 僕は泣いちっち (10) TEACHER'S PET (13) バラが咲いた (14) あ~あぁ やんなっちゃった (15) 日曜はダメよ(NEVER ON SUNDAY) (その2) (その3) (その4) (16) カレンダー・ガール (17) ステキなタイミング (18) スーダラ節 (19) ハイそれまでョ (20) ビキニスタイルのお嬢さん (22) 潮来笠 (23) いつでも夢を (24) Green Green (25) Be My Baby (その2) (その3) (26) I Can't Stop Loving You(愛さずにはいられない) (その2) (27) Vacation (28) Like I Do (29) 可愛いベイビー(Pretty little Baby) (30) Summer Holiday (31) ロコモーション (32) Strangers in the Night (夜のストレンジャー) (33) シェリー (34) I Will Follow Him (35) Like I Do(レモンのキッス) (36) Kissing On The Phone (37) Rambling Rose (38) 帰って来たヨッパライ (39) 走れコウタロー (40) 恋のダウンタウン (41) 世界は二人のために (43) 恋のバカンス (44) 情熱の花 (46) メロンの気持ち (47) 映画「ひまわり」のテーマソング (48) 雲にのりたい (50) 悲しき天使 (51) 乙女の祈り (52) 亜麻色の髪の乙女 (53) 今日の日はさようなら (その2) (54) 世界の国からこんにちは (55) Blowin in The Wind (その2) (56) 花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone) (その2) (57) エンドオブザワールド The End Of The World (58) 思い出のグリーングラス (59) 瀬戸の花嫁 (60) Yellow Submarine (61) いい湯だな (62) そよ風に乗って (63) ブルー・シャトー (65) ひみつのアッ子ちゃん (66) 白いブランコ (68) 雲にのりたい (73) ある日突然 (74) この広い野原いっぱい (その2) (75) 夜明けのスキャット (76) 風がはこぶもの (77) パパと踊ろうよ (78) そよ風にのって (81) 白い恋人たち (82) 雲に乗りたい (83) 水色の恋 (84) 水色の手紙 (85) 手紙 (86) ある愛の詩 (87) 真夜中のギター (88) 一人の手 (90) さらば恋人 (92) あの素晴らしい愛をもう一度 (93) 誰もいない海 (94) 希望 (96) ひまわりの小径 (97) 赤い風船 (98) 空よ (99) 明日に架ける橋 (100) 希望 (101) 虹と雪のバラード (102) やさしく歌って (104) Beautiful Sunday (105) Top of the World (その2) (106) Yesterday Once More (イエスタデイ・ワンス・モア) (107) 想い出の渚 ザ・ワイルドワンズ (108) そよ風の誘惑 (109) 木綿のハンカチーフ (110) てんとう虫のサンバ (111) 若草の髪かざり (112) 結婚するって本当ですか (113) 野に咲く花のように (114) 危険なふたり (115) いい湯だな (116) ギンギラギンにさりげなく (117) さらば青春 (118) フィーリング (119) およげ!たいやきくん (120) ダンシング・ヒーロー (121) 抱きしめてTONIGHT (122) YOUNG MAN (Y.M.C.A) (123) 異邦人 (124) 宗谷岬 (125) 恋にメリーゴランド (126) Oh! クッキーフェイス (127) 夢先案内人 (128) 青葉城恋唄 (129) ひなげしの花 (130) 思い出の渚 (131) 優しい悪魔 (132) 黄昏のビギン (133) 北国の春 (134) 時をかける少女 (135) 赤いスイートピー (136) 白いパラソル (137) 青い珊瑚礁 (138) 風立ちぬ (140) やさしい悪魔 (141) 俺ら東京さ行ぐだ (142) TOKIO (144) 熱き心に (145) 麦畑 (146) 夢をあきらめないで (147) クリスマス・イブ (148) My Revolution (149) おどるポンポコリン (150) 君の瞳に恋してる (151) 君の瞳は100万ボルト (152) 少年時代 (153) 君は天然色 (154) 千と千尋の神隠し (155) U.S.A (156) 羞恥心 (157) 異邦人 (158) リンダ リンダ 少女時代に妖精の存在を信じておられたシンガーソングライター・池田綾子さんの作品 (1) 大切な君へ (2) ANNIVERSARY (3) 空の欠片 (4) こころたび (5) 種 (6) 流星 戦前も含め、特に、戦中および戦後(1935年~1960年)にラジオからよく流れていた希望と憧れに満ちた歌謡曲および童謡 (1) 二人は若い (2) うちの女房にゃ髭がある (3) 若しも月給が上がったら (4) 東京節(パイのパイのパイ) (6) 旅の夜風。 (7) ブンガワンソロ (8) きらめく星座 (9) 新雪 (10) 雨降りお月さん (12) 十三夜 (13) 夜来香 (15) 三味線ブギウギ (16) 丘を越えて (17) 南から南から (18) リンゴの唄 (19) 朝はどこから (20) みかんの花咲く丘 (21) 鐘の鳴る丘 (22) 山小屋の灯 (23) 銀座カンカン娘。 (24) 長崎の鐘 (25) 青い山脈 (26) 東京キッド (28) あこがれの郵便馬車 (29) 素敵なランデブー (30) 高原列車は行く (31) 山の人気者 (32) アルプスの牧場 (33) 東京シューシャインボーイ (34) 憧れのハワイ航路 (35) 僕は特急の機関士で (36) 田舎のバス (37) 毒消しゃいらんかね (38) ガード下の靴磨き (39) お富さん (40) イヨマンテの夜 (41) 黒百合の歌 学校唱歌 (4) 故郷 (5) 埴生の宿 (6) 故郷を離るる歌 (7) 冬景色 (8) 朧月夜 (10) 夏は来ぬ (11) 海 (12) われは海の子 (13) 羽衣 (14) 蛍の光 (15) 別れのワルツ (16) 故郷の空 (17) さんぽ (18) どこかで春が スポーツ関係のきれいな曲 (1) 古関裕而作曲 オリンピックマーチ (1964年東京オリンピックの入場行進曲) (2) 古関裕而作曲 スポーツショー行進曲 (NHKラジオのスポーツニュースのテーマ曲として用いられる) (3) 阪神タイガースの歌(六甲おろし)〈阪神タイガース球団歌〉 (その2) 戦後のラジオ番組のテーマ曲
(1) 1946年から始まったNHK第一放送の人気番組「話の泉」のテーマ曲
(4) さくらんぼ道中(NHK連続放送劇「さくらんぼ大将」より) (5) 笛吹童子(NHK新諸国物語) (その2) (6) 紅孔雀(NHK新諸国物語) (7) バス通り裏
(8) NHK第一放送・連続児童放送劇「なかよし歌日記?」主題歌
(10) NHK第一放送・連続放送劇「南京豆物語」主題歌
戦後のラジオのコマーシャルソング (1) 森永製菓 CM
1950年頃のNHKラジオの番組と次の番組の間の空き時間に流れていた曲
(1) その1_ 。 これをクリックすると、画面右下に mscz ファイルが表示されますので、それを再度クリックしてください。 (2) その2_ 。 これをクリックすると、画面右下に mscz ファイルが表示されますので、それを再度クリックしてください。 (3) その3_ 。 これをクリックすると、画面右下に mscz ファイルが表示されますので、それを再度クリックしてください。 懐かしい子供向け映画 (1-1) ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ふしぎの国のアリス(Alice In Wonderland) Part1 (1-2) ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ふしぎの国のアリス(Alice In Wonderland) Part2 |
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