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最近、
ヤマビル、
その2、
その3(アーカイブ版)、
その4(アーカイブ版)、
その5、
その6、
その7、
その8(アーカイブ版)
(この中のアニメーションの動きが前後逆?)、
その9(アーカイブ版)、
その10【インターネット・アーカイブのバックアップ版〔backup at the Internet Archive〕より】、
その11、
その12(アーカイブ版)、
その13 [7月8日(日)付け]、
その14(アーカイブ版)、
その15(アーカイブ版)、
その16、
その17、
その18、
その19(アーカイブ版)
、
その20
の被害が、特に、神奈川県丹沢山系東側に急増していると、テレビで放映されました。
驚いたことに、東名高速道路の直ぐ近くや
住宅の敷地内でも被害〔保存版〕
(その2〔保存版〕)
にあっていることです。
鹿の急激な増加が原因で、鹿の移動とともに広がったものとされています。
ヤマビルの詳しい解説がこちらにあります。
そこで、山本が15年前を思い出して、ここに紹介することになりました。
◇ 北海道石狩市厚田区望来字マサリカップ944番地 (旧:厚田郡厚田村大字望来村字マサリカップ944番地)
1993年11月27日(土)に、札幌から直線距離で北北東30キロの石狩湾沿岸にある上記地内に行ったときのことです。気温2度から5度。
足元から1メートル先の雪の上に、見たこともないような赤くて 8 センチ近くも細長く伸びた(下註1)、見るからに不気味な生き物が、下端を雪面に吸盤で吸い付いているように付けたまま体全体を垂直に立ち上げ、いかにも攻撃的に頭と覚しき先細りの先端をこちらに向けて、クネクネと不気味に上体をくねらせているのです。
「これは一体何だろう。」と思いながら、しばらくは不気味なその動きをじっと見ていました。
何か怖いことが起こりそうなので、とても近寄ることが出来ません。
「ウーン。何だろう。」と反芻するうち、
「ひょっとしてこれはヤマビルというものなのではないのか。」と思い始め、
見る程に「ヤマビルに違いない。」と確信めいてきました。
(註1) インターネット上の多くの文献で、ヤマビルの長さが高々 5 センチと書かれているため、それに合わせるように、2018年5月まで、ここでも実際に見た長さよりも控えめに 「 5 センチ長の」 と書いてきましたが、やはり、実際見た 「長さ 8 センチ近く」 に、2018年6月19日に訂正させて頂きます。見た当時は気が動転していましたので、実際の長さは 5 センチ程度でも、大きく感じていた可能性もあります。 このように、ヤマビルに限らず、 動植物の移動は、卵や種子、時には本体が鳥に付くことによって離れた地域に拡散するのではないか、と考えました。 環境条件によっては、そこで繁殖するのでは、と。例えば、たまたま拡散した場所に吸血できる獲物が居たか、それとも、居なかったか、 また、湿度が生存維持に適しているか、いないか、によって左右され、最終的に、居るところにはたくさん居るようになるが、 居ないところには全く居ない、という風に分かれるのではないかと思われます。温度に関しては、あの冬の寒さの厳しい秋田県や長野県に生息できることからみて、 極端な寒冷地は別として、寒さには余り関係ないのではないか、と思います。例えば、北海道で外気温が氷点下10度以下になっても、 積雪の下では、意外にも、0℃近くに保たれていて、それ以下には温度が下がらないからです。 この程度ですと、ヤマビルは冬眠できるのではないかと、とも思われますが、実際どうなんでしょうね。
話を元に戻すことにして、このヤマビルはどこから鳥に取り付いたのだろうか。
ここから一番近いヤマビルの繁殖地として知られる秋田県からは直線距離で500キロ以上も
離れています。鳥にしてみれば、500キロはそれほど遠い距離でないのかも知れません。
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ヤマビルに遭遇する3ヶ月前の 1993年8月2日(月)に撮影 |
なお、3ヶ月前の1993年8月2日(月)に一番近くの農家の人と話をしまして、私が冗談半分に
「ここにはマムシはいないでしょうね。」と聞くと、
「いるよ。マムシもいるし、カラス蛇もいる。」。
私が「えーっ。マムシがいるのですか。こんなに寒いところにですか?」。
「ああ、いるよ。それより、カラス蛇は熊笹の上を滑るようにして飛んでくる。これも毒蛇でこっちのほうが怖い。」と言うのです。
僕は??でして、茨城に帰ってから図書館で調べましたら、「カラス蛇はシマヘビの黒化した変種」とありました。多分カラス蛇に毒はないでしょう。
しかし、猛毒のヤマカガシ (喉の奥の方に毒牙があるらしい) の黒化したのも、
からす蛇と呼ぶというサイトがあります。
[参考]父の話では、昔、信州の山道を歩くときは、 木の上からヤマビルが降ってくるので、 天気が良くても傘をささないといけない、と聞いているそうです。 ちなみに、父の実家は新潟県上越市です。話は違いますが、父の話では、狼がいた頃、山道を歩いていると何時の間にか後ろから一定の距離を置いて狼が追いてきて、里の入り口に着くときに、「送ってくれて有難う」と心に念じながらオニギリなどの食べ物をそっと置いてやる。 すると、狼はそれを咥えて山に戻って行くそうです。これを「送り狼」と云い、決して人を襲うようなことはないそうです。
上記のことをヤマビル研究会に報告いたしましたら、
次の返答がありましたので紹介いたします。
[追記1]
[追記2]
[追記3]
[追記4]
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[エピソード] 茨城高専名誉教授の渡部磯雄先生がお若いとき、 同僚の菊池朗先生と宮城県の 金華山 (その2) に旅行に行った帰りがけに、 牡鹿半島に戻る船の最終便に間に合わなくなり、やむを得ず、ショートカットの藪漕ぎをなさいました。 このとき、かなりの数のヤマビルに襲われて散々な目に会ったそうです。最終便には間に合ったそうです。 この島には野生の鹿がたくさんいますので、鹿のいる所、ヤマビルに注意が必要のようです。
[今思うこと]
(これは、ああだった、こうではないか、と僕が考えついたことを、無責任に述べてみたいと思いますので、
何を馬鹿なことを言っているか、とお聞き流しくだされば幸いです)
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1965年8月1日(日)晴、暑い |
(4) 三重県宮川村の大杉谷や同県の櫛田川上流の
蓮ダム奥は地形が険しく、しかも不気味さがあるので、
林道走行が趣味の私でも熊野灘に抜ける水呑峠のコース以外、
沢山ある林道の走行を躊躇して断念しました。ヤマビルの生息地だったようです。
(6) 1994年8月に、三重県の実家から愛知県豊橋市、豊川市を経て、天竜、水窪を通る秋葉街道(国道152号線)を車で茨城県に戻ろうとしたときに、静岡・長野県境の青崩峠の先が通行不能で、ヤマビルのことを知らなかった私は峠下の斜面の草地でたまたま見つけたトクサを採集していました。ヤマビルには出会いませんでした。
その後、延々と元来た道を戻って草木川沿いと兵越峠を迂回する羽目になり、やっと秋葉街道の続きに戻って北上するも、さらにその先の地蔵峠に至る真っすぐな車道はなく、しらびそ高原(ハイランドしらびそ)へ行く未舗装の林道を大きく迂回する羽目になりましたが、これらのルート、何か怖そうな山でした。
後に、
南信にはヤマビルが多い【インターネット・アーカイブのバックアップ版〔backup at the Internet Archive〕より】ことを知りました。
さらに北上するとこの秋葉街道の最高地点(標高1400メートル余)である分杭峠に至ります。もうすでに夕暮れです。さらに北上すると夜の真っ暗な中、高遠町を経て諏訪湖に出ますが、この秋葉街道を走破するのに朝から晩まで物すごく長い時間を要しました。その間、天竜から高遠町の手前まで、延々、数時間、一台の車も出会いませんでした。
(10) 昔、私は今でいうマウンテンバイク(実際は中古の普通の自転車)とスケート(スケート場ができ始めた頃です)が趣味でした。
1965年から1970年にかけての学生・大学院生時代に仙台市近郊から奥松島や山形県境、たまに福島県境までの街道は勿論、
一般道路から外れた山野や川筋を暇あるごとに自転車で駆け回っていました。
通学も自転車でしたが、他の自転車を追い越すことが多くても、追い越されることが全くないほどフルスピードで走っていまして、
ある時、見通しの悪い下り坂のカーブを走行していたしたところ、
前を下っていたトラックに追突してかなりの怪我を負い、
前輪が壊れたことがあるほどでした。ときには、
仙台西北部のそう遠くない山中の無人地帯を走っているうちに道が消えてしまい、山中をさ迷うこと1時間、
脱出するのに心底青くなったこともあります。また、ある5月の妙に蒸し暑い晴天の日の山野の自転車走行で、
1日の走行中に計8匹の蛇に出食くわし、
そのうちの2匹は交尾中、ということもありました。ただ、生涯今まで、マムシには出会っていないのが幸いでした。
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仙台9時発、峠道の最奥部に14時50分着 宮城県柴田郡川崎町笹谷 1965年5月5日(水) ここは、ヤマビルがいるという 太郎川の源流から南に 尾根を1つ越えた直線距離わずか2キロの所です。 |
また、太郎川の直ぐ北に位置する
オボコンベ山でヤマビルの被害に会った
というサイトを2012年4月に見つけ、2017年7月に
(オボコンベ山その2)、
(オボコンベ山その3)、
(オボコンベ山その4)、
(オボコンベ山その5)
を見つけました。最初にオペコンペ山のサイトに出会った2012年4月に、これよりもう少し北に位置する
三方倉山でもヤマビルの被害に会った
(その2、
その3)というサイトも見つけました。
太郎川辺りからここまで分布域が広がっていることが分かりました。1960年代に私がこの付近の山道やけもの道を仙台市側から自転車で徘徊していた頃は、全く知らなかったことです。
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1965年5月21日(金) 天候は、南のち西の風、曇時々晴、 15時に激しい雷雨、のち晴、気温、15度から20度の間 |
(追記終わり) |
以上、ヤマビル生息地には独特の不気味さが山全体に漂っていたな、と思い起こせるのです。
まあ、こじ付けに近いかもしれませんが。
これに対して、どんなに険しい山中に行っても、生息地でない所では、全く不気味さは感じないし、感じたこともないわけです。
私自身、このことは不思議だなあ、と思っています。
2007年10月7日(日) 快晴
[第3段] 最近の真冬に次のようなことがありました。日記から抜き出してみます。
後日、ある「ヤマビル対策のサイト」に続く「第2章 体験メール」のサイトの最も下にある
「細い半透明のヒルも存在する」
の段に「・・・一見木綿針のような細い半透明のヒルにあちこちやられ、・・・」と書かれていているのが見付かり、何かそれと似ているようです。
[未だに残る疑問点]
[栃木県のヤマビル生息域の詳細な地図が発表されました] 栃木県のヤマビル生息域の詳細な地図が2022年9月にインターネットで見つかりました。これは画期的な発表だといえます。どのようにして詳細に調べたのでしょうか。調査された方々は大変な苦労があったのではないかと思われます。なお、これまで、ヤマビルの生息域は、 ヤマビル研究会のヤマビル注意報 や各県での生息域を示す概略図 (例えば、群馬県林業試験場業務報告の図-2) は散見されますが、詳細なヤマビル生息域を表したものは皆無でした。
[参考]
(2) 1940年頃から北海道礼文島でその当時、沢水を飲料水として使っていた多くの住民に死亡率の高い原因不明の奇病が発生しました。 その原因はなかなか分らなかったのですが、北海道大学医学部が1950年代後半についにエキノコックスという寄生虫が原因であることを突き止めたのです。 丁度この時に私は北海道札幌郡手稲町 (現・札幌市手稲区) に住む中学生でしたが、この原因究明が地元の北海道新聞で大々的に報道されました。 それ以来、最も危険視されている寄生虫がこの エキノコックス【インターネット・アーカイブのバックアップ版〔backup at the Internet Archive〕より】、 (その2【インターネット・アーカイブのバックアップ版〔backup at the Internet Archive〕より】)でしょう。 これは、その幼虫に感染した野ネズミをキタキツネが捕食し、 キタキツネの腸で成虫になった多数のエキノコックス (サナダムシなどの条虫の仲間で体調は数ミリメートルと小さい) が大量の卵を生み、 その卵が糞とともに体外に出て、それが沢水に入り込み、沢水を飲んだ人間が感染するというものです。 よって、北海道の沢水を絶対に生で飲んではなりません。また、生の山菜も危ない。 今や、本州の北日本やもっと西の地方でも、飼い犬などへの感染が確認されるようになったとニュースで警告されています。 なお、人体での感染はネズミと同様に、エキノコックスが幼虫のまま肝臓に寄生するために重大なことになるそうです。厄介なことに、人体に入り込んでから発症するまでの潜伏期間が 10 年と非常に長く、その間に肝臓内で成虫になれない幼虫がゆっくりと卵を産みながら増殖し、ゆっくりと肝臓を破壊し、発症した時には既に重症化していることです。
(3)
くだらない話ですが、ヤマビルが居る所といない所の差、と、ゴキブリが居る家と居ない家の差はちょっと似ているように思えてきました。我が家でのゴキブリについて10年間観察した結果を書いて見ます。(2017年8月18日〔金〕記)
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