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2. 屋敷の花と実 |
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福島第一原発の事故による 放射線の不安で食べないで見るだけ。 |
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2013年10月3日(木) この年は食べました。 |
2連、3連はもちろん、 写真のような4連が2組生りました。 2017年10月8日(日) |
キジバト(ヤマバト) 2012年9月16日(日) |
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2018年7月17日(火) |
今年も庭にやって来ました。 去年(前図)と同じ個体かどうかは分かりません。 が、羽の模様が細部まで同じなので、越冬して、 今年も庭に戻ってきたのでは? ウーン、違うかな。 2020年8月6日(木) |
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3. 2008年5月1日(木)午後
2008年のゴールデンウィークに、三重県志摩市にあります現在の実家に行き、完全看護の豊和病院に長期入院の母を見舞ってきました。
その合間に、鳥羽市にあるショッピングプラザ・ハローに行ったところ、空き店舗で「なつかしの昭和の道具と遊び展」がありました。
入室したら、偶然、伊勢新聞社の女性記者と主催者の方と3人となり、女性記者に写真を撮られて翌日の伊勢新聞にかなり大きく掲載されたのが次の画像(左が私)です。
少し前に、私の同行者が入室したときにも、いろいろなお客さんにもカメラを向けていたそうなのですが。
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4. 新聞を飾った茨城高専ロボット運転システム
1980年代後半から1990年代は、マツダ㈱の自動車車体組立に採用されたのを始め、産業用ロボットの黎明期でした。
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本校の学生実験や小中学生対象の本校主催「面白科学セミナー」の様子は次のようです。 |
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本システムの開発は私が殆ど単独で行い、相当の時間と労力を要しました。その開発ノートの一端をご参考に以下に示します。 |
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1990年頃から大学・高専が「国立」から「独立行政法人」に変わり、制度の見直しが多々行われました。茨城高専ではその1つに、学生による先生の授業評価が始まりました。各学生が5段階評価で幾つかの項目にわたって点数を付け、全体の平均を取って、4以上ならば表彰され、3未満ならば、特別研修を受けなければならないという訳です。
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国立大学、いや、独立行政法人の大学も独自の改革を迫られ、文部科学省の旗振りがあったのでしょうが、独立行政法人の大学は大学院重点化が推進され、その結果、例えば、「東北大学工学部教授」から「東北大学大学院工学研究科教授」と舌を噛みそうな長ったらしい名称変更になっています。これは、日本だけの現象で、日本以外の世界はこんな変な変更はありません。非国際化、非グローバル化と言えます。まさに、大学組織もガラパゴス化になってしまいました。ガラダイですね。
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5. 2009年11月22日(日)午後と2010年2月13日(土)午後
山本(旧姓 仁藤)暁子さんは、2009年に、茨城県ひたちなか市大島コミュニティーセンター (約して、大島コミセン)でのフラメンコ・ストレッチ講座に参加して半年、 駆け出しのまま、2009年11月22日(日)に公民館祭りでそれを披露しました。それが思いもよらず、ひたちなか市市民憲章推進協議会が発行し 市民全所帯に配布される「わがまち」第38号にその写真が掲載されました。それが左下の画像です。 暁子さんは一番左端で、先生はその右です。 なお、先生は、ひたちなか市のフラメンコ教室「Santa Maria La Blanca」(サンタ・マリア・ラ・ブランカ)の 小池美結季先生 (その2) です。 中の画像は大島コミセンの職員の方が撮影し、右はダンサーの1人のお友達が撮影されたそうです。 |
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2010年2月13日(土)午後にひたちなか市大島コミセン主催の芸能発表会が、ひたちなか市ワークプラザで行われ、 暁子さんが参加するフラメンコ教室の発表も次図のようにありました。 |
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右から4人目が暁子さん。右から3人目が小池美結季先生、左から3人目がコミセン職員の佐藤まり子先生 2010年2月13日(土) ひたちなか市ワークプラザにて |
なお、暁子さんは10年以上にわたって現在に至るまで、ひたちなか市前渡公民館主催の歴史教室
(古市巧先生、吉田淑子[元]学級長)を受講しています。
右の短冊は古市先生から戴いた先生直筆の先生が詠まれた俳句です。
6. 山本暁子さんが安全運転(無事故無違反)の表彰を受けました 次の通りです。 |
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ついでに、暁子様の小学校時代の賞状がありました。 |
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2020年3月上旬に開かれる筈であった「ひたちなか市高齢者文化創作展」に暁子様がペインティングを出品し、特別賞を授かりました。「開かれる筈」と書いたのは、新型コロナウィルスの感染を防ぐため、展覧会は中止となったからです。授賞式も中止となり、作品の搬出の時に直接、係員から賞状と記念品が渡されました。この新型コロナウィルスの世界的パンでミックスの影響で、2020年7月と8月に開かれる東京オリンピックは延期となることが2020年3月24日夜に決定されました。 |
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私(信雄)も、遅まきながら、市報だよりを見て2019年9月にひたちなか警察署に申請し、2019年12月10日に次の賞状を頂きました。多くの人は申請すれば表彰されることを知らないで過ごしているようです。貰えるものは貰っとこうっと。 |
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7. 平成27年(2015年)度の第50回茨城県芸術祭美術展覧会(県展)写真の部で入選しました
山本信雄と山本暁子の両名が入選した作品は次の通りです。 |
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8. 暁子さんのコーラス
暁子さんは2018年から水戸市内のあるコーラスに加わって歌を歌っています。グループとしても個人としても活動しています。それは次のようです。 |
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2019年12月10日(日)も暁子さんは水戸芸術館 広場にて「300人の《第九》2019」に参加して歌いました。 |
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〔註〕実際の参加者は 500人近く だそうです 2019年12月10日(日) |
9. 暁子さんの写真が市報ひたちなかに少し大きく載りました
茨城県ひたちなか市企画調整課が企画した2022年度 シルバーリハビリ体操 が、前渡コミュニティセンターにも開催され、山本暁子さんが参加しました。このときの参加メンバーの大きな写真が市報ひたちなかに掲載されました。それを次に示します。 |
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10. 2008年10月19日(日)午後
ひたちなか・さんま祭の会場で、国土交通省海上保安庁巡視艇「あかぎ」を見学したときの記念撮影です。 (イベントの一つとして、衣裳は自由に借りて試着できました。) |
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11. 日頃お世話になった近藤験殿、大内等先生と藤崎輝雄氏ご夫妻、
荻原昭三先生、菊池誠先生、および、阿部弥正社長
私が大学院生のとき以来、近藤験殿には、特に研究の仕方や人間のあり方など哲学的なご示唆やご教示を戴いてきました。
こちらのサイト
にありますように、現在に至るまで大変有益なお便りを戴いています。誠に御礼申し上げます。
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また、在任中、荻原昭三先生には陰日向にご支援を賜りました。 先生は㈱日立製作所・水戸工場の技術者から国立・茨城高専にご赴任になり、 機械工学科の技官として長年お勤めになられました。在任中、茨城県発明工夫展で県知事賞を取られ、油彩画を描くのがご趣味で、茨城県わくわく美術展に毎年入選されています。その作品の1つが下右の画像で、福島県の安達太良山の風景です。 2010年9月現在で83歳になられる氏はお元気で、水戸市民ボランティア”歴史アドバイザー水戸”の重要メンバーとして 、水戸偕楽園で観光客の歴史案内役としてご活躍されています。 |
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阿武隈高地にある万太郎山[福島県双葉郡川内町]の麓の福島県いわき市川前町小白井で、
萱葺きのほのぼのとした日本の原風景が珍しく残っていました。
下左の画像(撮影は1991年8月)です。年賀状にもこの画像をプリントしたところ、荻原氏がこれをもとに油彩画を描かれました。
それを下右に掲げます。素晴らしい絵ですね。有難うございます。
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さらに、在任中、菊池誠先生(国立茨城工業高等専門学校教授)にはいつも温和に話しかけてくださり、 制御工学の共同研究でも多くのことを教えていただきました。 有難うございます。菊池先生は、他には滅多に見られない理想的な方(先生)で、 写真に見られるように、欧米人のように大変美男子です。 |
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2006年9月から半年間、ひたちなか市内の有限会社・阿部商会の阿部弥正社長さんの要請で
マイクロ波による水中殺菌装置の開発をしましたが、パワーを上げて70度以上に加熱すれば有効なものの、
マイクロ波電磁界のみで殺菌することには失敗しました。細菌はマイクロ波電磁波には意外に強かった、というほろ苦い思いでした。
このときは阿部社長、酒井公雄氏(日本原子力発電株式会社のOB)、原木信雄氏、社長の次男の阿部賢司氏と共同で行い、マイクロ波共鳴器は私が設計しました。
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12. 以前にお世話いただいた
佃 勉先生、
黒澤誠先生、木村一郎先生、および、楊箸幸一氏
茨城高専に在任前半に、ご年配の諸先生にお世話になっています。
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13. 筑波山梅林
前項で荻原氏と水戸梅大使(梅娘)を紹介しましたが、筑波山の中腹にも素晴らしい梅園があります。 次の画像は私たちが2010年3月14日(日)に訪れたときのものです。 大勢の観梅客を美人の「つくば観光大使」がお出迎えしていました。 |
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14. 自治会秋祭り
2010年度に運悪く、ひたちなか市向野団地の役員を担当することになりました。向野自治会副会長、
向野自治会第3班班長、向野自治会19組組長、ひたちなか市社会福祉協議会向野支部幹事、ひたちなか市前渡を明るく住みよくする会の青少年育成会委員、
向野団地第2排水管理委員長を兼任して大忙しでした。特に、第2排水委員長として雨水調整池の市への寄付事業に携わり、
多くの資料作りと会議を重ね、市との交渉の場に乗せて寄付事業をスタートさせました。が、2011年3月11日の大震災で頓挫しました。
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