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| 14.   凍結した袋田の滝 2012年の1月は寒い日が続き、雪国ではかつての豪雪に次ぐ積雪。茨城県の袋田の滝も完全凍結したというニュースに2月4日(土)に見物に行きました。 が、この日は寒さがやや緩み、滝の氷はやや溶けていました。 | 
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| 2012年2月4日(土)15時 ここの放射線線量は 0.12 マイクロシーベルト毎時で高くない。 | 
| 15.   白鳥 例年通り2012年暮に白鳥(オオハクチョウ、コハクチョウ、コブハクチョウ、黒鳥) がシベリアから渡ってきました。 茨城県水戸市千波湖をはじめ、那珂市瓜連の 小徳沼、ひたちなか市大島公園など、あちらこちらの湖や溜池で見られます。 | 
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| 16.   〇〇”十文字 ” 
   
十字形に道路が交わる形態を普通「十字路」と言いますが、茨城県ひたちなか市付近では「十文字」と言っていました。
会話でも「〇〇十文字を右に曲がって、・・・」のように言っていたのです。
最近の道路標示では、ほとんどの交差点が「〇〇十字路」と表記されるようになりましたが、
下左図のように、ひたちなか市下宿にある国道6号線の十字路では堂々と「佐和十文字」と書かれています。
多分、この交差点は以前からこのように呼ばれて地名のように定着したのかも知れません。
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| 水戸市千波町の旧国道6号線(現 県道)でも次のようにあります。この交差点にバス停はありませんが、近くのバス停名は「千波」となっています。 | 
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| 2014年3月7日(金)撮影 | 
| ひたちなか市市毛の国道6号線と県道の交差点名は「市毛十字路」ですが、 バス停は「市毛十文字」と呼び習わされてきた名称になっています。 | 
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| 2014年4月22日(火)撮影 | 2014年4月23日(水)撮影 | 
| 17.   茨城県特有の苗字 
   
茨城県には地元特有の苗字、および、他の県に比べて際立って多くある苗字がたくさんあります。
慣れてしまえば普通の苗字として認識できますので、地元の方は全国的に普通の苗字と思っているかも知れません。
どこの県でもその県特有の苗字がありますが、ここ、茨城県は特有の苗字の種類が多く、しかも、その各苗字を冠する方々がたくさん居られる、
ということが他の県とちょっと違うようです。茨城県(昔の大部分は常陸の国)の歴史の長さを感じます。
それらの苗字を列記してみます。なかには、他県にも多くあるかもしれません。
なお、茨城県の県央と県北地域を主としています。また、新字体でのみ表記します。
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| 18.   関西での小3のときの「しりとり歌」 
   
兵庫県尼崎市立大庄小学校3年のとき(1951年)に、口ずさんでいたしりとり歌があります。
これは国語の教科書で知ったのでした。ちょっと面白いので次に掲げます。
口に出す節(アクセントと音調)は大阪弁です。
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| 19.   初冬の筑波山 2013年12月22日(日)午後に寒気が入り始めて弱い時雨も降ったあとの筑波山です。 | 
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| 20.   私が設計した自宅について 
 
  を参照)が私に、私の自宅の建築費として400万円を贈与してくれたのです。
それを受けて、私が中学校の職業家庭の授業で習っただけの知識で、我が自宅の平面図を2時間程度で仕上げました。
それが右の図面です。部屋の配置は、広さは違いますが、父の実家のそれを参考にしたのでした。
この平面図と合わせて、敷地内の自宅の配置を示す図面1枚も作りました。
さらに、大内等先生(上記7項、および、
こちら  を参照)のご指導を得て、構造設計計算書1枚も作成しました。
以上、平面図、敷地内配置図、構造設計計算書のたった3通を持って市役所建設課の県庁委託の職員に提示しますと、数分で、県からの建築許可が下りたのです。 この許可証をもとに、大内等先生からご紹介いただいた工務店の社長さん(茨城県那珂郡東海村の 東海ロイヤルホテルの経営者でもあります)を通して、 400万円の家を建てて頂くことになりました。 私から提示したのは平面図のみで、他の細かな全ては建築者にお任せにしました。 具体的に建築に携わって頂いたのは、常陸太田市にある 竹沢木材(株)で、 そのハンサムでご親切な若旦那が監督に当っていました。 1987年3月に完成し、2020年の現在で築33年になりました。さすが木材屋さんだけあって、家中の柱には節がほとんどありません。 県内の素晴しい杉材を使って下さったようです。その様子を次の写真で示します。竹沢木材(株)様、本当に有難うございます。感謝いたしております。 | 
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| 2015年3月31日(水)夕方撮影 | 
| 21.   私が感心している交通標語 
   
茨城県ひたちなか市田彦の下田彦南交差点で国道6号線と交差する市道に私の好きな交通標語の看板の残骸が、下左の写真のようにあります。2016年春の強風で半分飛ばされてしまい、半分がそのまま残ったわけです。この道路は1970年代に新設され、定かではありませんが、そのころから看板が設置されていたのではないかと思います。
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| 「守ります ベルトに速度に 車間距離」 2016年10月9日(日)撮影 | 2017年8月10日(木)撮影 | 
| 22.   メノウ鉱山に使われていたトロッコの線路 
   
1975年頃まで茨城県久慈郡山方町(現・常陸大宮市)諸沢の北富田メノウ鉱山が稼働していました。メノウ鉱石は尾根に沿ってトロッコで先端まで運ばれ、先端から滑車で谷を渡って谷向こうの道にトラックで積まれたそうです。
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| この中で、テレビの画面と今回撮影した写真との比較を次に示します。 | 
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で見つけ、2017年9月29日(金)に私達も行って来ました。場所は、阿武隈高地の茨城県高萩市上君田字片添。標高は460メートル。しかし、地図と Google Earth を頼りに行ったのですが、ロケ地に入る道が見つかりません。仕方なく、近くの農家の方に訊いてやっと分かりました。先ず、その入り口には左の画像のように、「通り抜けできません」という看板が立っていました。道も細いので、私たちは道路の左肩に寄せて停め、歩いて入って行きました。やがて、開けた田んぼが現われ、左奥の方に、まさに、ひよっこの実家がありました。その実家に至る道端に右の画像のように、「まむしに注意」という看板があります。要するに、ここに来るのには覚悟がいる、ということです。 ひよっこの実家の画像を、NHKウィークリー「ステラ」2017年9月29日号のグラビアに載っていた画像と私達が撮影した写真とを比較して、次に示します。 | 
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| 24.   日本の礎 名言集(下)に掲載の私の文 2018年6月頃、日本叙勲者協会 (その2)から往復はがきで「貴方の人生訓を書いて送り返して下さい。」とありました。私は人生訓を特に考えたこともないのでそのまま放っていました。少し経ってから、小学校の時の宝塚少女歌劇団の訓示が気に入り、何となくそれに沿った考え方をしてきたことを思い出し、それと今の世に自分が主張したい事とを組み合わせば、地に落ちている政治家(首相を含む)たちへの指南になるのではないかと思い、以下の画像に示すような人生訓を書いて返信しました。そのことを忘れていた8月に、品位ありそうなお声の女性から、「貴方の人生訓を掲載することにしました。出版ができ次第、1冊献本いたしますので、5万円余を振り込んでいただければ。」と電話連絡があり、私が承知した2,3日後に書類入り封筒で連絡がありました。それで、私は一応、振り込んだのですが、一寸気がかりな感じも残っていたので、インターネットで調べて見ました。日本叙勲者協会は叙勲を授与する国の機関ではなく、叙勲者のネットワーク等に携わっている民間の任意団体のようです。ハッキリ言って、この協会は私の生活には何ら関係ありません。現在は記事が削除されてしまいましたが、実際、2018年6月6日付のあるサイト(現在は削除されています)に「・・・今回の依頼は、紛らわしい名を使い、本人のプライドをくすぐり逃げられないようにする悪徳商法の手口だと初めて気が付いた。即刻、その直後にメールで断りの意思を伝えた。・・・」と非難している方もおられました。しかし、せっかくの機会ですので、叙勲者たちに交じって私の文を掲載して頂けるのなら、5万円余は特にボラれる金額ほどでもない、いや、この機会は喜ばしくもあるかな、と思った訳です。 | 
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| 日本叙勲者協会 2018年(平成30年)10月 第2版発行 397ページ | 
| 25.   ヒスイ(硬玉) 私の両親は新潟県上越市出身です。1970年頃に父が所有していた新潟県の民族史・自然史の本を、たまたま、私が当時の大阪在住の父の住居に帰省していたときに見付け、その中には糸魚川のヒスイのことが詳しく書かれていました。それまで私はこのことを全く知りませんでしたが、小学生のころから、鉱物や化石をたまたま見つけたときに採集するなどの小さな趣味は持っていましたので、大阪と仙台の行き来の途中でもある糸魚川に寄って、姫川で1人ヒスイを探しました。この姫川、どの石も緑がかっていて、ヒスイとそうでない石との見分けが全くつきません。近くの人に聞くと、それは滅多に見つからず、緑がかった重い石はロディン岩などで、地元の人はキツネ石と呼ばれているそうです。夏に仙台から大阪に帰省するときに寄る程度なので、大きくて重くて物凄く硬い石を2個見付けたものの、ヒスイかどうかは分からないままで、今でも家に放置したままです。それ以外の石は採集していません。茨城県に就職した後、ある夏休みにたまたま思い出して姫川の河原を散歩していて、水辺の岩と大きな石の2メートルに積み重なった崖の途中に、色合いが周りと違う石を見付けたのが下の画像です。多分、これはヒスイに違いないとは思いましたが、後年、新潟県糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム の学芸員の先生に鑑定して頂きました。この先生がこの分野で有名な 宮島 宏 先生 (その2) (その3) だと思います。この鑑定の様子を日記に記してありましたので、それを次に書きます。 
2003年8月31日(日)雨,夕方から曇
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| 2020年11月28日に撮影。1990年頃に採取。 | 
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上記の少し前の2003年8月上旬、福井大学に用事に出かけた途中で新潟県糸魚川に寄って、小滝川のヒスイ峡に同行の高専専攻科学生を案内したときに、そこにあるおみやげもの屋でビルマ産のきれいなヒスイを見付けてしまったのです。このおみやげ屋には、今まで何回か訪れていますが、買おうと思ったことはありませんでした。今回だけは気になって落ち着かず、大目をつぶって買ってしまいました。その様子が日記に残っていましたので次に記し、そのヒスイの大塊を下の画像に示します。
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| 2003年8月7日に4万5千円で購入 | 
| 再び、時間をさかのぼって、1985年頃に新潟県糸魚川市の姫川で、スイス・アルプスに見られるような山の形の白ヒスイを見付けたのが次の画像です。その他、ヒスイは全くありません。 | 
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| 重さ 3.2 キログラム 幅×高さ×奥行 17.5×19.5×7.5 センチ | 
| 姫川では次のジャスパー、または、緑のメノウも見つかっています。(1990年頃) | 
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| 重さ 8 キログラム、幅×高さ×奥行 22×10×18 センチ | 
| 26.   所属学会 現在加入している学術関係の所属学会は、電気学会、プラズマ核融合学会です。 以前、日本物理学会、電子情報通信学会、計測自動制御学会にも入っていました。 その他、学士会にも入っています。 | 
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