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日光国立公園明智平展望台にて中禅寺湖と華厳の滝を望む。
2001年7月30日(月)
マムン氏は前列右から2人目。私は左端。お兄様のマスム氏は
左から2番目。マムン氏の後ろは従兄の方。マムン氏の右隣の
小川正氏はたまたまここで写生をしていた時に私たちと出会い、
この写真を撮って頂いた。スケッチも小川氏の作。
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日光街道のリンゴ園は花盛り。1999年4月29日(木)
マムン氏は中央。
左は、これも優秀なインドネシア留学生のアセップ氏。私は右。
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1997年から3年間、茨城高専にバングラディシュ(人口1億5千万人)からの留学生 マムン氏(正式名はモスタファ アル マムン氏)
という物凄く優秀な留学生がいました。
国はバングラディシュなのですが、隣国のインドのカルカッタと同様ベンガル語を母国語としています。英語も日本語もペラペラです。
彼は全バングラディシュの一斉テストで10位以内に入るという成績を残しているそうです。
あるとき、彼に「サンスクリッド語を知っていますか。」と聞いたところ、彼は意味が分からなかったので、「昔のインドの言語」とか何とか説明すると、
彼は「ああ、サンシュグリですね。」と言いました。日本の発音では通じなかったようです。
また、彼に「日本人はどうして英語が駄目なのかね。」と聞いたところ、
彼は「日本のカタカナ語が英語教育を駄目にしている。」と言いました。
なるほど、確かにそうかも知れません。英語をカタカナで表現するのは、英語を覚えるときに大きな障害になるというのです。
まあ、日本人だから仕方ないか。
ちなみに文献で調べてみましたら、インド人やバングラディシュの人は遺伝子的に80パーセントが白色人種だそうです。
残りの20パーセントがドラヴィダ系だかオーストラロイドだかの色の黒い人種([註]アフリカ黒人とは別種です)との混血なのだそうです。
同様に、現在のネパール領南部出身のブッダ(仏陀、お釈迦様)も人種的には白色人種だそうです。
これを知った日本のあるお寺のお坊さんはびっくり仰天したそうですよ。
より西のパキスタンのグラビア雑誌を見ますと、ハリウッド女優と見まがうほどの美女も多くいて、パキスタンから西はもうほとんど白人になるようです。
結局、同じアジアでもインド・バングラディシュより西の方は遺伝子的に欧米と同じコーカソイド(白色人種)な訳です。
肌の色が黒いからアフリカに近い、とかなりの日本人が思うのは全く見当違いということでした。
そういえば、世界史でも、昔、アーリア系(コーカソイド)がパミール高原辺りから移り住んできた、とありましたね。
彼が高専を卒業するときに、私は東京大学工学部編入を薦めました。
しかし、彼は「もしも編入にしくじったときは、翌年からの文部省の奨学金が支給されなくなる。」ことを恐れて、安全な東京農工大学工学部(小金井にある国立大学です)を選びました。
その後、大学院博士課程に進み、博士号を取得して現在、㈱東芝で精鋭の技術者として勤しんでいます。
東大の編入試験も通ったであろうと思われましたが、我が国の文部省の狭いて了見では、留学生は冒険も出来ません。
ちなみに、彼のお兄さん マスム氏はオーストラリアの大学助手から東大大学院博士課程に入り直して博士号を取得しています。
参考までに、茨城高専は他の国立大学や国立高専と同様に広くアジア(バングラデシュ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、スリランカ、モンゴル、など)から留学生が毎年数人編入して来ます。
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